ツインレイの警告

こんにちは、Pink Pigです。
 
散々自分たちのことを「たぶんツインレイ」とはぐらかし、ゆるく綴ってきた私から警告も何も無いかも知れませんが…
正直、少し恐怖を感じています。一人でも必要な方があれば読んで、お役に立てればと思います。
 
先に申し上げておくと、下記は「私の言葉」ではありません。私のツインからの警告です。別に責任逃れをしたいわけでは無いのですが、正直言って私には理解しかねる世界の話しなので、私としては「知らないものは知らない」としか言いようがありません(笑
しかしながら、私のツインは馬鹿ではありません。(プライベートでは色々困った人だけど…)そして私の読んだ限り、他のツイン男性達も、その他のキラキラじゃなくて現実的なスピリチュアルに目覚めちゃった人達も、私のツインと大体同じことを言っています。そして、その内容が怖いんです…
 
ー とりあえず、コロナの「予防接種」は受けないでください。特に子どもに受けさせないでください。既に受けた人は、人に勧めないでください。
 
ー 様々な「敵」がいます。彼らは非常に狡猾に社会に入り込み、多大な影響を与えてきました。真っ向勝負が間近か、もしくは既に始まっています。(ずっと水面下で続いてたとも言えます。)それ以上は書けません。反社会的言動やなんたら差別だと言って逮捕されちゃうかもだし(笑 ピンとこない方は、是非アンテナを張って、他のツインの政治について書かれていることも読んでみてください。(気をつけて見るポイントは、言葉だけ甘い理想主義に走らず、現実的観点を持っている方です。)
 
ー 世界は大きく変わります。数十年後か、それよりもっと早くか…人の生活様式も激変するでしょう。私達の子ども達は特に、波乱の時代を生きるでしょう。沢山の愛を与え、心身共にタフな子たちに育ててあげてください。自立できる力、人間として信頼に足りる仲間のコミュニテイをつくる力、偽りを見抜き、自分で考える力を育ててください。今までの常識は通用しなくなります。
 
以上、とりあえず警告はしました… ここに書かれていることは、私から説明や立証はできません。
私個人から言えることとしては、「ワンネス」やUniversal Loveといった言葉に騙されないでください。毒も含めて、神の造った世界です。だから毒を飲めとは言われていません。言っているのは敵であり、あなたを裏切るあなた自身でもあります。
結果として光が勝つことはもう決まっているという人達もいます。私には分からないことです。ただそうであることを願うばかりですし、怖いと言っておきながらも、何故かどこか安心している自分がいるので、そうなのかもなと感じている次第です。
 
計り知れないツインレイの世界…(勿論、ツインレイ以外にも目覚めた人は沢山警鐘を鳴らしています。)私は主人に任せっぱなしなところも多いのですが、それにしてもおとろしいわぁ…
 
Pink Pig でした。

科学とスピリチュアリティと真実と

こんにちは、Pink Pig です。
 

いきなりなんですが、スピリチュアリティと科学は、矛盾しません。

 

私達が自分たちの事象への理解力の限界を補う為に「スピリチュアリティ」、「科学」といった言葉で分けているだけで、実際のところ「真実はいつも一つ」です。スピリチュアリティを受け入れる人は、事象やその成り立ちを完全には理解できない自分も含めて、真実をただ真実と(認知している自分を)受け入れられる人。でもそういった人が、今度は科学をあたかもスピリチュアリティよりも低次元の真実であるかのように軽んじたりします。(皆どっぷり科学に基づいた生活してますが…)
 
違います、科学はスピリチュアリティで、スピリチュアリティは科学です。私達の理解度の問題は、真実に問題があるわけではありません。あなたの生きている現実が、それが何であっても、紛れもなく一つの真実であるように。現実逃避が、本当の意味でスピリチュアルな学びを成し遂げないように。(空想の世界も、それはその次元であると言えばありますが。)世界は矛盾しません。私達が無知なので、矛盾しているように見えることがあるだけです。
 
そういったことから、現実や科学と矛盾したことをスピリチュアリティで提唱する人は、真実を告げていないと解ります。しかしここで非常に難しいのは、人間の知りうる科学にも非常に限界があり、世界の理の複雑さに比べるととても小さな知識なので、一見スピリチュアリティと科学が矛盾している「ように見える」ことも多々あるということです。
 
例えば、「エゴを捨てなさい」とか、「あらゆる欲(食欲、物質欲、性欲、所有欲等、人間機能としてそもそも備わっているもの)を持つな」とか、心理学的に見て不可能です。(心理学を科学の変形と捉えるか、またはスピリチュアリティと捉えるかは人それぞれですが、どっちでもいいです。どっちも同じだから。)でも、私達人間の達成できないであろう高度な脳科学を持ってすれば、「エゴを大幅に減らす」ことはできるし、その科学的からくりも解るでしょう。もしかしたらエゴを無くすことだってできるかも知れません。現実的に考えて、それもう健康に機能してる人間じゃありませんが。
 
人間は非常に複雑なロボットと変わりません。思考も感情も科学ですし、現代医療も昔の人からしたらスピリチュアリティです。その差は、気が遠くなるぐらいでは済まない非常に高度なからくりを「知らない」、「知りえない」、「理解できない」だけ。私達人間は、ともすればこの「自身/人間の限界」があるという事実を拒否しようとします。(エゴですね。)
 
例えば、チャネリング。それが私達自身の脳(またはそれ以外のもの)の隠れた機能なのか、それとも現に目に見えない別の存在のメッセージを受け取っているのかは分かりませんが、ここではメッセージを受信しているとして考えましょう。メッセージは「ただそうである」という形で送られることが多いです。理論的、科学的根拠や裏付けはざっくり無視されて、「ただそれ」。(私が自分の未来を無意識に受信している時もそうでした。理由なんか知らない。イメージがあるから、それを書いてみただけ。)
何故でしょう。色々説明してくれたらもっと納得できるのに?
 
でも考えて見てください。私達が自分たちより幼稚な機能をもったもの、機能自体にかなり限界があるものに、それが「理解」とかできないことを説明しようとしますか?例えば、パソコンのスクリーンにある映像を流したかったとして、そういう風にパソコンにインプットするわけですが、パソコンにはまず「感情」という機能が無いし、AIみたいに自分で考える能力も非常に限られてるから、とりあえず「パソコンの機嫌を見て」とか、「パソコンに私の気持ちを解ってもらって」とか、「このプロジェクトの要点を踏まえてもらって」とか、そもそも考えないですよね。そんなの求めたところで無駄だから。
 
そこに高次の存在がいるとして、明らかに彼らは人間の理解を超えたロジックを知っているけど、人間の事象に対する理解力の限界を解っていたら、わざわざ私達に、私達が「理解できない」ものを教え敏そうとはしないでしょう。パソコンに気持ち分かってよって言ってるのと同じだから。仮に理解させようとしてくれても、そもそも私達がそんなものキャッチできません。パソコンが気持ち分からないのは、パソコンのせいじゃないように。(パソコンに「憑いてる」何かは分かってくれるかもだけどね…)
 
また、時にメッセージが複雑すぎて、人間の、または受信した個人の理解範囲を超えている、もしくは個人のエゴによって曇っている場合(「これは信じたくない」、「これは筋が通らない」、「これは…?多分このことを言ってるんだろう。」等)は、メッセージ事態が受信側で編集されることもあります。パソコンに指示を入れたら、思うどおりに動いてくれないこともありますよね。パソコンはパソコンのロジックと機能内で動くから。なので、「チャネラーが言ってたことが全部真実」なわけでもありません。(それ以前に、スピリチュアルな意思が真実しか語らないというのがそもそも偏見ですが。憑依霊とかの話し、鵜呑みにする?人間の集合意識がそう言ったら、それが「真実」?)
 
人間は素晴らしいと思います。私のような、機械も科学も数学もさっぱりな人からしてみれば、エンジニアとか科学者なんてもうマジシャンですよ(笑 主人がパソコンに何やら司令を打ち込んで、好きな映画がダウンロードされて、あなたは魔法使いですか?!みたいな。(恐らくこれらの分野に興味が持てたら、人並みの理解力はあると思います…多分。でも全く食指が動かないんです。イヤイヤ病勃発。笑)
でも主人からしたら、自分の弱い機能である「人の心を読む」ということが私に自然にできることの方が、よっぽど魔法のようでしょう。私からしたら、「人間の感情をちょっと詳細にロジカライズしている」だけですが。
 
ちょっと世界見回しても、すごいですよね、人間。(すみません、歴史も政治も苦手分野ですので、大したこと言えませんが…)医療も機械の発明も文化やアートも、個々人からしたら「神がかり」に見えるもの沢山ありますよね。
そんな、私達お互いからしたら素晴らしい人間様ですが、蟻塚つくって喜んでる(のか分からないけど)蟻が人間理解しようとしても無理なように、それでも私達は「理解できないものは理解できない」んです。私達自身の脳や体の造りの詳細を含めて、世界の事象の詳細なんて、人間の理解範囲に及ぶものじゃありません。時々高次の存在が特定の人間にメッセージを送って、その人がある種「人智を超えた」偉業を成し遂げることはままあると想像しますが。
 
そこで私達は、例えば「科学」と「スピリチュアリティ」に線を引いてみて、自分達をひとまず安心させようとします。無知を認めるのは、ある種の人間には恐怖にも感じられるものだから。幽霊のようなもので、得体が知れないとなると、イライラ、ソワソワ…だから「知った気」になりたい。安心ゾーンにいたい。
多くの人が実際に目の当たりにしたり、感じている肉体的な現象を「科学的根拠が無いから」真実では無いというお医者さんのようなものですね。(因みに私、男女を妊娠した時の違いとして言われる「俗説」、ほぼ全部当たってたんですが。)もしくは、明らかに科学と矛盾しているのに、何でも「スピリチュアルだから」自分たちの信仰や信念が正しいと言い張る聖職者のようなものです。
 
でも何故、「知らないこと」はそんなに怖いことなのでしょうか?
多分このイライラやソワソワは、「神への信頼」が高まると共に減ると思います。
もしあなたがこの記事を読んで、イライラ、ソワソワ感じるようであれば、あなたの神様に「私を愛していますか?」と訊いてみてはどうでしょうか。「はい、勿論」と答えてくれたら、その不信感も、少しは穏やかになるかも知れません。(因みに私は、不信感いっぱいで常に神にチャレンジしてます。一方で、「どうせ愛されてるし」みたいな子どもの駄々っ子でもあります。笑)
 
Pink Pig でした。

ツインレイとコミュニケーション

こんにちは、Pink Pig です。
 
ツインレイだと、お互い言わなくても相手のことが分かると言いますが…
全然そんなことありません(笑 むしろ、「わざと無視ってる?!」と思えるぐらい、ツインの相方は鈍感です。
これはツインレイに限らず、男女間で典型的な問題の一つですが、多くの場合、「男性は言わなきゃ分かりません」。いや、言っても分かりません(笑
 
男性に「察してよ」はきかないとよく言われますが、私は割とはっきり言う方です。それでもまだ相手にいらぬ「気遣い」や「遠慮」をしてしまうようです。そんな行き違いが、最近ありました。
主人に安全の為に付き添って欲しい場所があったのですが、いつもは私とどこでも出かけたがる主人も、そこだけは個人的な理由で乗り気で無く、何かと理由をつけて断られていました。でも娘は行きたがり、私としてはどうしても娘の笑顔が見たい。一度は自分だけで娘を連れていったものの、妊娠後期の体ではおぼつかない…
再度その話をした際に、嫌々な主人に、私は「私の体では結構危険なことがあるから、あなたが来てくれた方が安全。でも気をつければ私一人でも何とかはなる。」と伝えました。主人が行きたがらなかったので、無理強いしたくない反面、できるなら来て欲しいという意味も使えたつもりでした。でも主人の答えは変わらず。
 
後、ブルーになっている私を心配した主人に、私は正直に以前私だけで行った時に危険を感じたことを伝えました。すると主人はすぐに必ず付き添うと言ってくれました。
自分の中の葛藤だったんだな、と気が付きました。
娘を喜ばせたい。主人に嫌な思いをさせたくもない。じゃあ私が頑張ろう。私がちょっと気をつければいいだけ…
でも私は、自分も気づかないうちに頑張るのに疲れていたんですね。娘を思うのも、私。主人を思うのも、私。どっちもとりたいと、欲張りになっていたんです。でも「私の為に」したはずのことが、私自身を無視していたら?(この「自分を無視している」状況に中々気づけないのがアダルトチルドレンです。)
 
ツインレイに関係なく、男の人は愛する人を危険にさらしたいなどと微塵も思っていません。でも私は、「危険だから」に拒否で返されたのを、自身を無視されたように感じて悲しくなりました。一方主人は、「なんとかなる」レベルだったらそんなに危険じゃないんだろうと思い、真剣に受け止めなかったようです。実際の状況をもう少し詳しく説明すると、それは絶対に自分が行かなければと言っていました。「なんとかなる」は、私のいらぬ痩せ我慢だったんですね。
 
私はもともと「相手をコントロールしない」という教えに懐疑的ですか(使われ方によりけりだと思います。)、今回の例では、相手に自由な選択権を与えたつもりが、結果自分も相手も傷つけていたという。
「相手をコントロールしない」と、「自分の気もち/状況をはっきり伝える」を混同してはいけないと思いました。
愛し合っている人間同士なら、「自分の気もち/状況をはっきり伝えた」結果は、そうそう無視とかにはならないと思います。そうなっていたら、「伝わっていなかった」をまず疑った方がいいでしょう。主人のように鈍感通り越したような人もいますし(笑
「自分の気もち/状況をはっきり伝えた」上で、相手に選択肢を持たせるのはコントロールではありません。
 
私は「自分の気もち/状況をはっきり伝える」ことが、相手へのプレッシャーになることを過剰に恐れていました。コミュニケーションをコントロールと混同していたのですね。そんなの、プレッシャーになるならなったらいいんですよ(笑 それにどう答えるかの決定権は、あくまで相手にあるんですから。余計な気遣いはせずに、伝えることははっきり伝えて、その上で無視ってくる人はコントロールしようとか言う以前に速やかに離れた方がいいかと… そもそも愛が無いところにコミュニケーションがどうとか、コントロールがどうとか言っても始まりませんから。他人事ではありませんが、まずは自分をいたわりましょうね。
 
以心伝心のはずのツインレイ、実際は行き違いだらけです。でもその行き違いを通して、自己愛を学ばされていきます。
 
 
Pink Pig でした。

ツインレイ女性とシャーマニズム2

 こんにちは、Pink Pig です。
 
シャーマニズムと言うか何と言うかなのですが、思い出したことを付け足しておこうかと…
 
何度か書きましたが、私の誕生日数の過去数が11で、主人の娘の現在数が11なのですが、私達は二人共「自分の未来の断片を無意識に知っている」ところがあるようです。
主人の娘は、時々自分の未来に何が起こるかを言い当てます。大概自分にとって嫌なことなのですが。(無意識なので、言い当てたことすら、その時がきても気づいてないです。というか、過去のことは急速に忘れていくという特徴があるので、言ったことすら覚えて無いかも。)
 
私は、何となく「自分はこう生きたらいいような…」と、あっちへふらふら、こっちへふらりと、傍から見ると訳の解らない人生を歩んでいたと思いますが、振り返ればすべてツイン・プログラムへと繋がっていました。また、男性歴が一切ありませんでしたが、「私が結婚するなら、それは運命で、神様がその人をくれるはず」といった、根拠の無い印象をずっと持っていました。どこのロマンチック乙女だって感じですが、一方で恋愛系のフィクションには興味が持てず、男性とお付き合いどうのの前に自分の人生確立しなきゃと思って忙しくしていました。姉妹か、一対一の女友達と交流し、男友達をつくる興味もあまりありませんでした。
主人はあまり表立って表さないものの、実は「超」嫉妬心が激しい人なので、遠くから男追い払われてたのかも…笑
 
更に、主人に出会う数年前から、寝る前に自分だけが読む為のお話を書く習慣があったのですが、不思議なことにそのお話のキャラクター達や内容が、主人と経験したことと似通ったエピソードが多く…
ヒロインは紛れもなく私自身の影なのですが、主人の前妻に酷似したヒーローの元カノから嫌がらせを受けます。ヒーローは主人と同じINTJ、しかも名前が「レイ」で、ヒロインと輪廻転生のラブストーリーを生きており、お互いに「もう一人の自分」といった印象を持っているという… いや、それまんまツインレイやん。笑)
私はソウルメイトについて調べたことも、ツインレイという言葉さえも、主人と結婚して一年ほど経つまでまったく知りませんでした。恋愛系の話や映画も苦手だったので、ほとんど読んだり観ていませんでした。しかも、私の物語のヒロインがヒーローを見つめながら、「まるで鏡で自分を見ているような不思議な気分。でもそれって一体恋と言えるのかしら?」と複雑な心境で自問する箇所など、当初主人に対して私が持っていた葛藤そのもので… ヒロインはヒーローに惹かれるものの、「恋」をしてるようでも無く、つかず離れずの二人の中は一向に進展しないという(笑
しかもこの二人、お互いに協力して「出会った人々を助ける」のがエピソードの大半を占めており…(え、ラブストーリーは?!)二人の関係進展しないのに何故か探偵コンビみたいになってるっていう。
もう言わずもがなです。私はツインレイ女性として生きる運命だったことを、前もって感知していたのでしょう。完璧無自覚でしたが。またそれに気づいたところで、ちっともロマンチックな気分にもなれないんですが(笑
 
ツインレイ女性は天然ちゃんだと言われますが、我ながらそうだなぁ…
 
Pink Pig でした。
 

ツインレイの子どもたち1

 
こんにちは、Pink Pig です。
 
前々からちょっと不思議に思っていたんですが…
ツインレイブログ、沢山あるのに、ツインレイの子どもの話って無くないですか?…どうして?
ツインレイってお互いの子どもを持たない場合もあるそうですが、相手の子どもが非常に欲しくなるとも。で、子どもつくった結果がどうだったのか、気になりませんか?私は興味あるんですけど…しょっぱなで結婚から始まって、子どもも結構いてという、良くも悪くも「落ち着いちゃた」ツインレイは、あまり他に興味無くなるのかしら…謎です。
 
前置き長くなりましたが、自分が人のこと読みたいのに、自分のことをシェアしないのも何だかな、と思いたち、今回は私と主人の子どもたちについて書いてみようと思います。あまり個人のプロファイルを特定しないように(時既に遅しなとこ色々ありますが)、子どもはアルファベットで呼ばせていただきます。
 
・A:主人と前妻の子。私の子として育てており、可能な時に養子縁組予定。
・B:主人と私の第一子。
・C:主人と私の第二子。あと三ヶ月くらいでお目見えの予定。
 
Aは私が会った当初は、精神にも生活にも大きな支障をきたしていました。自己愛性パーソナリティの母親と、母親が去った後育てられたこれまた自己愛性パーソナリティの祖父母の影響で、A自身ナルシストになる寸前のような状況でした。また、軽度のADHDを持っており、人に好かれたいのに、人の輪にうまく馴染めません。非常にピュアで素直な面と、自己中心的で計算高い面が混在しており、二面的です。でもどちらもA自身であり、極端な陰と陽のはざまで自己嫌悪に苦しんでいるところがありました。数年で普通に生活できるまで回復し、もともとほがらかで優しい子なので、年の離れた主人と私の子も可愛がってくれ、皆でいると笑いが絶えません。
 
Aとは話しに話を重ね、時間をかけて沢山のことを理解し、改善していってくれました。誕生日数では、私の過去数11がAの現在数、また私の現在数5がAの未来数なので、どうやらスピリチュアル的に私はAのメンターを任せられたようです。A自身からも、相談を受けたり、アドバイスを求められることがとても多かったです。今はその役目が終わろうとしているな、というのを何となく感じています。四柱推命では夫の天中子にあたるので、社会の子として自由に自分を探して欲しいと思っています。
 
Bはとても「変な子」です(笑 でも愛おしくて愛おしくて仕方が無い、皆のアイドルです。Aと私は二人でBを挟んでキャイキャイ言ってます。(そうです、親ばかです。私は結婚以前から子どもは結構好きでしたが、正直自分の子どもがここまで可愛いものだとは夢にも思いませんでした。)Bの何が変かって、容姿も、性格も、私とも主人とも違う…四柱推命では辰巳天中殺なので、正に一家の変わり者。でもエレメントは主人と同じく庚で、四柱も私と主人に似てる。MBTIではENTJなので、平たく言えば主人の外向的バージョンでもあるし。私と主人が正反対の陰陽なので、間を取ったこの子はどっちにも似てないんでしょうか(笑 
主人も私もどちらかと言えば静かで、(悪気は無いんですが)ともすれば人に緊張感を与えてしまいがちなところがありますが、Bは天性のコメディアン。狙って無いのに、やることなすこと、仕草や表情が周囲の笑いを誘います。色々な占いで性格を読むと、よく「愛」が強調されています。
 
Bはまだとても幼いので、これからどんな子に成長するのか楽しみですが、辰巳天中殺なので早くに親元を出して自立させた方が良いようです。そうしないと、親が子の運を食ってしまいかねないので。私はとても寂しいのですが、この子の幸せの邪魔をするのは何としても避けたいです。ちなみにBは異常干支を2つも持っています。一筋縄ではいかなそう…
私のBに対する印象は「宇宙人」もとい「天使」。出産して間もなく「この子どっからでてきたの?」と疑問を感じ、今も「あなたどこから来たの?」と心の中で問う日々です(笑 ママっ子で、愛おしくて仕方無いのに何故だか自分の遺伝子を感じない… よく思いついたように(家にいるのに)「おうち帰る」と言います。外国語で主人にも言います。皆に構ってもらって、家族大好きで楽しそうで、とりわけ寂しく感じて言っているには見えないのですが、ふとした拍子に思い出したように言うんです。本当に、どこの星から来たんだろ、この子…笑
※追記:ふと思いついて、Bが睡眠中に、「地球でママと一緒に頑張ろうね。」と語りかけてみました。その日からめっきり、家で「おうち帰る」と言わなくなりました…どうやら納得してくれたようです(笑
 
Cは…まだお腹の中です。なので当然大して何も書けませんが、AはCに嫉妬を感じていました。A曰く、Cが誕生したら自分は必要無くなる気がすると言うのです。Aは誕生数11なだけあって、(本人に自覚が無く)スピリチュアルな言動をすることが時々あります。自分の将来が見えているようです。(私にも、振り返ってみると無意識にそういうことがありました。ある意味将来の断片を知りながら生きているんです。)単なるジェラシーならBにも感じてよさそうなものですが、Cに特別何かあるようです。そこら変の謎も、今後解き明かされるでしょう。
 
私の住んでいる国には、日本書紀のように神話があるのですが、Cにはその神話に登場する「キリスト的」な神様の名をつけようと思っています。というのも、先にBの名がその「キリスト的」な神様の伴侶の名なのですが(単純に音が好きだったので私が決めました。)、それも含め、色々なヒントからCがキリストと何か関係していると感じたからです。宗教とは複雑に影響し合って成り立ったものですし(キリストの誕生日は、古代の太陽神のものだとか。Cの名の由来の神様もアポロ的なイメージです。)、特にキリスト教を信仰しているわけでも無いので、とりわけキリストに固着するのでは無いのですが、インスピレーションですね。きっとこの子の魂が自分の名を送ってきてくれたんだと思います。
 
そんな感じで、ツインレイの子ども達のご紹介でした。ツインレイの子ども達も、それぞれ使命があるように言われていますね。私には使命等はよく解りませんが、主人は遠くない将来、資源がつき、それまでの人間社会が崩壊し、時代が大きく変わることを予期しています。Bの特質は「ピンチな状況にこそ強い」らしいので、タフな未来を生き抜く強さを備え持って生まれてきた印象があります。
これからの時代、「私達が育てられたように」自分たちの子どもを育てるのでは追いつかないものが多く出てくると思います。(その前に、主人も私も両親がちょっとナンだったんで、そもそも親の真似しちゃいけなんですが。)広い視野で持って、伝えなくてはいけないことはしっかり伝え、子どもの個性や自由も尊重して、のびのびと子育てができたらなと思います。
 
 
Pink Pig でした。
 

受け入れについて

こんにちは、Pink Pig です。
 
まず、ツインレイとは関係無く、「受け入れの心理」について思うことがありました。
他者は自分の鏡(自分と他者が一緒とか、自分が良くも悪くも他者に値するというのとは違います。)ですが、私自身も含め、人を見ていると「受け入れ」のマインドが他者のことでは無く、自分(受け入れ側)のことであることに気がつきます。
相手の何かれを「受け入れたい」と思うのは、裏を返せば「自分が受け入れて欲しい」んです。
例えば…
 
・「あなたがダメンズでもいいの。」=「私も実は自分のことダメ女だと思ってるから、ダメな私も受け入れて欲しい。」
・「あなたのしたいことは、何でもしたらいい。」=「だって私もしたいこと文句言われずにしたいから。」
・「あなたの怒りも悲しみも、全部受け入れる」=「私怒ってるの!悲しいの!誰か受け入れて!」
 
大概無意識ですが、この法則自体に、いいも悪いもありません。良い方向で使うと、自分にも他者にもリラックスできて、人生のストレスが減ります。
 
・「私ちょっとぐらいルーズな人でも気にならない。」=「私もルーズだけど、そんな自分許容してるから相手もジャッジしない。」
 
悪い方向にこじれると、相手に自分に対する自己欺瞞を投影するという、こんなトリッキーな状態にもなりますが…
 
・「あなたはダメンズなんかじゃない!私は知ってる!(本当はダメなとこあると思うからそう言うんだけど…)」
=「私本当は自分ダメだと思ってるけど、そう認めたく無いからいい女って思うことにしてる。」
 
許容する側は、相手を許容し、また自分も許容されることを要求するパターン(”Live and let live!")と、自分は許容されなくても、相手を許容しようとするパターン(尽くす/耐えることが私の幸せ)とありますが、どちらも無意識で求めているのは「自分が許される」ことです。
ここで大切だと思うのは、いくら相手を許容しようとしたところで、そもそも「自分が自分を許せていなかったら苦しむのは自分」ということです。
 
例えば、自分は「時間を守るのは他者への気遣いとして大事」と思って、時間厳守だったとします。でも「ツインは自然な姿で受け入れるべきだから、時間守らなくて許す」だと…普通に毎度遅れられたらストレスたまりますよね。
これが、「私時間守るとか気にしない。時間とか、あって無いような概念でしょー」で自分が遅れる方だと、人から待たされても気にならなくなります。(でもその結果他者に迷惑かけて、非難される/避けられるのは自己責任ですが。ルーズな人の周りにはルーズな人が残るので、それでいいっちゃいいです。)
ちなみに「自分はいいけど人がやったら腹立つ」という人は、本当は自分も拒否しているので、隠れ自己嫌悪に陥っているでしょう。
 
自分が癒やされたくて人を癒やしても、自分の傷は根本的には癒やされないのと同じに、他者を「許した気」になっても、自分が自分を許せていなかったら、あなたが本当に欲しい「自己受容」は得られません。
 
ツインは他者一般よりずっと濃い「自分の鏡」なので、ツインを「許した気」になっていると、そのまま自己欺瞞真っ逆さまです。反対に、相手はひとまず置いといて、「自分を許す」ことから始めると、相手も自然に許せるか、もしくは問題自体が無くなります。
一見矛盾しているようですが、これが、私が「許せないものは許すな」と言う所以です。自分を許せて無いのに相手を許そうというのは「自分への嘘」だからです。
 
劣等感の強い人は、自分の劣等感と向き合いたく無いために、同じく劣等感の強い他者と傷のなめ合いをして自分を癒そうとします。実際それである程度癒しを得られることもあるので、ただ悪いとは言いませんが、そういった場合もし相手が自信を得だしたら、不安を感じて引きずり下ろそうとします。下降スパイラルに陥りがちです。
一方自分に自信のある人は、自然に自信のある人を呼び寄せ、または他者に自信をつけさせ、さらに高みを目指すことを喜びとします。相乗効果でポジティブなエネルギーが増えます。
 
つまり「本当の許容」とは、「本当の自己許容」=自己愛や自信からしか生まれないということです。そこから生まれた許容は、もはや「許容している」という意識にすら上らないものです。受け入れようと努力しなくても、ただそこにあるものです。あなたがゲップして「あ、ごめーん」で済ませて、恥ずかしくも感じなかったら、他者がゲップしても「何やっとんじゃゴラァ!!」ってならないでしょ?
 
この法則で考えてみると、ツインである主人に常にダメ出しっぱなしの私は、実際どんだけ自分に厳しいのかと…(勿論、自分ができないことは相手に求めないよう気をつけてはいます。)どこが許容と拒否の丁度いいバランスなのか、今も模索中です。ちなみに主人は私が嫌だったことを改善していってくれているので、最近では怒ることもかなり減りました。私も主人に「悪気がない」ことが飲み込めてきてからは、許容範囲が広がりました。結果はどうあれ相手に誠意さえあれば、怒る気とか無くなるんです、私は。
 
このブログでは何度も伝えていますが、心の中だけでも、「何も拒否/ジャッジしない」というのは無理です。
もしあなたが、自分の欲しい物の為なら人を傷つけることに何のためらいも無く、もともと愛なんてものを信じないので表面的な快楽だけを追い求め、そのためなら自分さえ報復を受けなければ、モラハラ、暴力、嘘やチートでも何でもするという人間だったら…そんな自分を愛せますか?無理です。愛せないのに、愛していると思いたいから必死に表面的に理想の自分になろうとするのがナルシストやサイコパスです。(そして彼らは、勿論他者を愛するなんて論外です。)
 
自分でも他者でも、嫌なところがあった時、少なくとも「改善しようとしているかどうか」で、かなり見方は変わってくると思います。私は誠意の無い人は潔癖に嫌うところがありますが、「人/自分の為に結構努力してはいるけど、結果が中々伴わない」人は意外とあっさり許せます。努力=無理とは違います。まず問題意識を持って、問題を改善しようと考えてコツコツでも実行するのが努力です。
手の無い人に手を生やせったて無理でしょう。無いものは無い現実はさっさと受け入れた方がお互いの為です。(脳の機能だって限りがあるんです。)でもその人が「私手が無いんだから、あんたがあれもこれもやって当然よ。」という態度か、「私手が無いから、代わりに歩いて協力できることするね。」かでは、全然その人に対する評価が違うでしょう。
自分にも他者にも誠意を大切にすることは、結果自分と他者を大切にすることだと、私は思います。
 
 
Pink Pig でした。

ツインレイと偽ツイン

こんにちは、Pink Pig です。
 
「偽ツイン」という言葉を時々目にします。特徴を読んでみると…いました。本当にいました。
主人の自己愛性パーソナリティ障害を持つ前妻が、まさに偽ツインに言われる特徴にドンピシャでちょっと引きました。自分の相方、しかも魂の片割れとか言われてる人の過去に引くとか言うのものもなんですが、正直私は結婚してから主人に引きっぱなしです(笑 (だって自分の半身だろうが何だろうが、感情的に理解できないものはできないし…って言うか、「自分の背中」だから、直に見れないのが普通なんでしょう。)
 
主人は前妻に「以前あった気がする」感覚をいだき、自分でも何故か解らないけど、彼女が自分に運命づけられた相手だと感じたそうです。(まぁ、カルマメイトですから、ある意味あってるんですけど。)だったらさぞロマンチックな恋愛だったかと言うと、どうやらそうでは無く、最初から女性として魅力を感じず、本音は何だかがっかりだったそうです。(仮にも妻だった人に…)じゃあ何で結婚したかと言うと、手っ取り早く言うと闇に自分の「弱み」につけ込まれたんですね。
 
彼女はナルシストだったので、巧妙に主人の女性に求めているものを察知し、劣等感に苦しむ彼を煽てあげていい気分にしました。また主人は主人で、それ以前に「とりあえず今すぐ誰かと結婚しよう。」ありきだったんです。自分の寂しさや、男性としての自信の無さが、結婚という社会のステータスで解消できると考えたという…浅はか以外の何でもありませんが、それは酷い精神的虐待を受けて育った者の悲痛な叫びだったとも言えます。(実際、ナルシストの親を持つ者が、親から逃れたいがあまり若くに軽率に結婚して、結果相手がまたナルシストだったというのが、よくあるパターンらしいです。)
 
その結婚の有様は、正にカルマの解消(なのか、新しくカルマつくってたのか…)のオンパレード。悲惨です。ナルシストと結婚して幸せでいろと言う方が無理ですが、それにしても外的不運も含めて人生急降下でした。夫婦関係も、お互いの健康も、子どもの精神も、社会的立場も、すべてカオスです。
でもそのどん底から、主人は色々なことに精神的に目覚め始めたのだろうと思います。鈍感な人だから、そこまでひどい目見ないと目が覚めなかったのかしら…
 
ではそのウン年後、更に混沌とした年月を過ごした主人がついにツインである私と会って、目覚めばっちりの準備万全だったかと言うと…そんなわきゃ無いですね。そうだったらツインにつきものの、試練とか無くなっちゃうもんね。最初の結婚を恥じる意識が非常に強く、でも劣等感故恥とは認めたく無いので、自己嫌悪と自己正当化のはざまで喘いでいました。
結局全体的には、幼少の傷が、最初の結婚で過去の傷として悪化した主人の引きずってきたもろもろは、私にも多大なダメージを与えました。今でこそ色々落ち着いて仲良くしていますが、主人の私への愛情が信じられなかったらさっさと離婚してたと思います。実際、これは愛なのか、単なる依存じゃ無いのかと、何度も自分に問うた時期がありました。エゴでは何度も疑ってみても、主人を目の当たりにすると、誰よりも深く愛されているのは解るんです。ふっきりたいのにふっきれないのが余計にやるせなかったです。(私それまで、ふっきるのだけは得意だったんで)笑 今思えば、それも何があってもただそこにある「神の愛」を学ぶ勉強だったのかも知れません。
 
偽ツインは「ツインに会うための準備運動」的に説明されていることが多いですが、私の経験からは、プログラム的にそれ以上の意味があるのではないかなと思います。私は主人の前に偽ツインに会いませんでしたが(ちょっとそれっぽい人はいました。もしかしたら、会ってスルーしてたのかも…)、主人の偽ツインは、私自身の闇、「私は誰の一番でもない/なれない」という幼少からの無意識が呼んできた者であったような気もします。私の「インポスター症候群」が、実際の「偽物」の存在を許してしまったんですね。
つまり、偽ツインがいたということは、実際に偽ツインに関わった人に課題があっただけでなく、その相方のツインの課題にも通じるものがあるのではと思います。何せ表裏一体なので。
 
過去に囚われる必要はありませんが、まず過去から学ばないと、先に進めない未来もあります。主人の前妻は、ナルシストですので同じ苦しみのストーリーを人を変え、場所を変え、繰り返しているようです。(そういったコンディションで生まれた人のカルマって一体どうなるのだろうと、個人的にすごく不思議です。自業自得を可哀想とも思いませんが、それにしても魂としても下がる一方って、救いが無くないですか?世界ってそういうものなの??)一方主人は、過去の苦しみを糧に、自分の本当の人生は今始まったのだと、今をすごい勢いで生きています。
 
偽ツインレイ、いると壮絶に苦しいですが、ある意味自分の学びの宝庫でもあります。
 
 
Pink Pig でした。