ツインレイと「正解」

こんにちは、Pink Pigです。

 
今回はツインレイ・プログラム全体について、結構ぶっちゃけなことを書いてみようかと思います。何がぶっちゃけかと言うと、結論からすると「魂の修行に決まった道は無いでしょう」ということです。
やれツインレイ、ツインレイと、プログラム自体に救いを求めていると、色々自分を見失ってしまうことって多いんじゃないかなと思います。すがれば今は耐えきれるとか、ちょっとした心の安定剤に、または純粋に何が起きているのか知りたくて、知識を求めて…そんな感じなら、大いに巷に溢れる(っていうか、日本が突出してツインブームな気もしますが)情報を活用すればいいと思います。
では今回何が言いたいかと言うと、他のツインさん達のブログを読んでいると、「あなた間違ってるよ(だって私こうだもん。で、私正真正銘のツインだもん。)」的目線で話されている人が多いと気づいたので、あえて人生は魂の修行という大元の観点から、「間違ってるとか多分そもそも無いよ」的路線で書いてみたいと思います。
 
まず、私が非常に違和感を感じる、よくツインレイ・プログラムにおける「正しい」姿勢として書かれていること…
 
− 相手のすべてを受け入れる。
いやいやいや、あなた自己確立してないんですか?相手は子どもじゃないです。相手が受け入れられない相手自信をあなたが受け入てれしまったら、すでに一心同体でも無いです。相手の自己嫌悪と自己正当化にまで同調してしまったら、結果的に相手を否定しています。
 
− 怒りや嫉妬といった、相手に対するネガティブな感情を手放す。
「手放す」んじゃなくて、感じ尽くした後に勝手に離れていくのが、人間心理の自然な作用だと思います。相手に対して怒れなかったら、相手を対等な人間として認めて無いのでは…嫉妬もできなかったら、相手を「人間として」愛してはいても、「男性として」愛しているか疑問です。なぜなら嫉妬等は、私達が人間として造られた機能の一部ですから、人間的作用があることを否定するのは、あなたを愛する創造主を否定するにも等しいのでは無いでしょうか。(ツインを「男性として」愛すべきかどうかというのにも、正解は無いです。あなたはどうしたいんですか?)
 
− 現実的に問題があっても、本当にツインなら周囲の人が傷つかないからオッケー。
これは、そうである場合も多いのだろうと思います。が、本当に「オッケー」な状態で不倫等をされている方がどれだけいるのかは疑問です。自分を大事にすることは大切ですし、不倫や離婚そのものがただ悪いとは決して思いません。でもツイン云々以前に、やっぱり、罪も無い人、特に弱い子どもたち、を深く傷つけるのは良くないことでしょ…?子どもの了解を得て、精神状態を見ながら不倫する余裕のある人が、現実に一体どれだけいるでしょうか。(いないとは言いません。安易に自己正当化していないか疑問なだけです。)
 
− そもそもツインとはなんぞや。統合あるきで、目指すはライトワーカー?
目指さなくても、勝手にそうなって行くものなのだと思います。統合しなくても、プログラムのどの時点でも、それは一つの人生です。「あなたがこうできないからこうなっちゃうのよ」的語り口に惑わされることなく、まずは自分を大事にして、自分が心から幸せになれることを目標に生きればいいのでは。ここで言う「幸せ」とは、痛みを避けることではありません。痛みを越えてでも先にあるものに価値があると感じれる時は、「自分の為に」努力を惜しまないでください。ライトワーカーという言葉に胸踊るなら、目指してみるのもいいかも知れませんが、あなたの自信の感情や人生を、ライトワーカーという曖昧な言葉の犠牲にはしないでください。
 
少しとりとめも無くなってしまいましたが、なんとなぁく言いたいこと伝わったかな…
 
ここで少し、魂とカルマの話をしたいと思います。ここからは、「私が知っていること」では無いです。あくまでも「私が見聞きして、そういう観点もあるかなと思った」セオリーに基づいた意見です。
まず第一に、カルマの無い人間はほぼ存在しません。カルマ無い時点で人間じゃ無い確率超アップです。人間である限り、カルマの中で行きていくことはほぼ逃れられません。
よく私達は、負のカルマをつくらないで、良いカルマをつくったら幸せになれると考えます。それ自体は特に間違ってはいないと思います。でも、だからと言って「罵られた。でも負のカルマをつくりたく無いから、言い返さないでおこう。」とか、「裏切られた。でもカルマの為に、報復しないでおこう。」とかいうのは、精神学的、つまり私達の人間として造られた心の機能からして、非常に不健康であると言えます。まさに「スピ/カルマの奴隷」。「別に言い返す/やり返すほど相手に興味ないし。」というのとは違います。正当な理由で本気で憎んでいる相手を表面上「許す」のは、正しいことでしょうか?もっと言うと、なぜ私達に「悪を罰したい」という本能があると思いますか?その本能があるからこそ、人間は集団を、村を、社会を、守っていけたのです。社会に守られ続けることを選択しながら、世界平和を唱え裁きの放棄をするのは欺瞞というものでは無いでしょうか。あなたの代わりに、誰かが裁きと力でもって犠牲を払い、秩序を守ってくれているのです。
(もっとつっこむと、ツインに当初抱きやすい「愛憎入り混じった」感情も、複雑な関係を目の当たりにした人間として当然のものです。憎悪を燃やしきった人が、他者に「私は一山卒業したから、あなたはまず憎悪を感じないようにね☆」と言っても無理があります。)
 
例えば、あなたがレイプされたとします。その時あなたの親が、犯人を捕まえようとか、罪を償わせようとかいう気持ちが一切無く、「社会的措置でも何でも、相手を拘束するのは暴力だからやめようね。あなたにも私にも、悪いカルマになるからやめようね。代わりに相手を許したらスピリチュアル・レベルがアップするよ!ちなみにあなた、レイプされたのは、あなたにそれだけのことを受ける悪いカルマがあったからよ。」…と言われたらどう思いますか?あなたは親に愛されていると感じられますか?それよりも、「カルマ上等!私が何を背負うことになっても、あなたを傷つけた奴を許さないわ!今すぐ報復できなくて悔しい!」っていう親のほうが、仮に興奮しすぎた親をなだめなければいけなくなっても、愛されているとは感じませんか?泣いているあなたの涙を、あなたのせいにするのでは無く、一緒に寄り添って悲しみや怒りを感じてくれる人の方が、好きになりませんか?
この親の反応は、そのままあなたのあなた自身への対応ともなります。
 
話をツインレイに戻すと…
私があなたを愛するもう一人のあなたであったなら、こう言うでしょう。
相手にどうしても許せないことがあるなら、許す努力なんてやめなさい。強い怒りを感じるのなら、でもそれでも相手との関係にチャンスを与えたいなら、その怒りを相手に伝えなさい。もしそれで逃げて行く相手なら、あなたには相応しく無いよ。あなたを拒否し続けるような人と一緒になって欲しくは無い。あなたを女性として大事にしてくれる人といてほしい。
あなたには幸せになってほしい。苦しみの向こうに幸せがあるなら、苦しみ抜いてほしい。でも、犠牲にはならないでほしい。それが仮に神のためであっても(というか、ただあなたの犠牲を望む神なんて、私は信じない。神があなたを苦しめるなら、あなたのためを思って苦しませてると信じてる。)あなたにはあなたの為に生きて欲しい。(あなたが罪もない他者を傷つけないで生きることも、あなたの為だと信じてる。)そして、私のあなたへの愛を常に感じていてほしい。私の愛は絶対だから。ぶれない愛だから。辛い時は、私の愛を思い出して頼ってほしい。私はあなたの為に傷ついて、あなたの為に喜び、あなたの為に戦うし、あなたの為なら負けもする。
 
表面的な「許そう、愛そう」は、現実にある痛みからの逃避ともなります。ところが、魂がレベルアップするには、苦しみが不可欠です。現実よりもファンタジーに生きて痛みから逃げていると、魂の修行にもなりません。成長は痛みを伴うようにできているからです。「許せない」から苦しむし、「愛しきれない」から迷いもあります。苦しむ為に苦しめと言っているのではありませんが、言いたいのは、「人生の課題を前に苦しみもがいているあなたは決して間違ってなんかいない」ということです。自身への愛があろうと無かろうと、現実の提示する問題は苦しいでしょう。でも、愛と共にある苦しみと、自己を愛さないゆえの苦しみは違います。前者は成長できますが、後者は気づきを得るまで、成長が止まってしまいます。
あなたは自分には絶対に嘘をついていないと言い切れますか?あなたが本当は「嫌」と感じていることを、「これでいいはずなんだから、幸せと感じなさい」と感情そのものを否定してくる人を信頼できますか?
 
ツインレイ・プログラムには、「似通った道筋」があるのは確かです。でも、お決まりのプログラムに沿うことがそのものがあなたの人生ではありません。あなたの人生は、あなた自身が経験する現実的、そして内面的事実の両方です。
ツインレイがスピリチュアル的に覚醒しやすく、様々な不思議体験をするのも事実です。でも、スピリチュアルのみが人生ではありません。そもそも、人間として自然な生き方とは、現実とスピリチュアルのバランスをとることです。どちらに傾きすぎても何らかの不具合が出ます。スピリチュアルに固執したり、飲み込まれたり、そもそも「スピリチュアルだから現実より上格。スピリチュアルなメッセージは無条件に正しい」という誤った認識で生きると危険です。現実は現実として、また確固たるものですから。
 
ツインレイとの関係に、「正解」なんて無いと思います。(でもやっぱり私は一人の人として、「周りの人傷つけ過ぎちゃ普通に良くないよね…」と思いますが。)相手を「こう見ないといけない」というルールも無いです。自分が「どうすべき」という教科書も無いです。(そんなものに頼ってたら、「あなたの人生」が生きられませんよね…)
結局は自分の人生だから、と知ってはいながらも、ツインプログラムの「ご褒美」を信じたいがあまりに、様々なツインさんのブログを真に受けすぎて、それぞれ矛盾した「あなた間違ってるよ」に混乱している方、結構多いのでは無いでしょうか。いらぬ心配かも知れませんが… 
プログラム全体におおまかな流れがあるのは別にしても、一人一人のツインさんの人生は、当然ながらあなたとは異なるものです。誰かが彼女の人生を通して得た「正解」が、あなたにも当てはまるとは限りません。一人ひとり、何に「気づく」べきかという課題も、ツインでもツインで無くても違います。
あなたにとっての本当の正解は、「あなたの神」が知っています。
 
 
Pink Pig でした。