ツインレイについての忠告

こんにちは、Pink Pigです。
 
ツインレイについてネットであれこれ読んでいると、よく不思議に思うことがあります。
このブログを書き始めたきっかけの一つでもあるのですが、それは、私自身が、「別にツインレイでありたくないツインレイ」としてマイノリティのようだということです。私からすると、自身が「ツインレイ」の称号を受けるのか否かは、「果たして私の体験している不可解な人生がそれによって説明できるのかどうか」という興味につきます。後者は私にとっては重要なことですが、称号自体は正直どうでもいいです。
ツインレイを馬鹿にしているとか、またはツインレイである(らしい)ことを鼻にかけていると勘違いされたくは無いのですが、マイノリティ的な立場として、ついつい口調が批判的もとい挑戦的になることは否めません。(マイノリティってつい防衛的になっちゃいますからね。)
 
ツインレイについてのブログは、多くが自称ツインレイの方々が書かれており、ツインレイの素晴らしさをうたっています。そして、ツインレイ批判をするブログは(大変もっともなご意見の方々が多いのですが)ツインレイでは無いと自覚されている方が多いようです。
ではどうして私のように、「ツインレイだけど、正直ツインレイお勧めできないよー(笑」みたいな方が少ないのでしょうか。そもそもそんなブログ流行らないのかな。一ツインレイとしては、とても自然なスタンスだと思うのですが…
 
ツインレイに(というか、「ツインレイ詐欺」に)批判的な方々はもう十二分に書かれていると思いますが、私もあえてツインレイとして、彼女たちの意見に同意したいと思います。何に同意なのかと言うと、「ツインレイ探し」はおそらく止めたほうが良いということです。「彼はもしかして…」というのも、ツインレイ探しに含まれると思います。
 
一言で言うと、「ツインレイ甘くないよ」です(笑 この「甘くない」というのは、「あなたには対処できない」と言った意味では無く、そのまま「そんないいもんじゃないから…」ってことです。ツインプログラムが精神的にきついのは、皆さん聞いていると思いますが、それは「いつまで白馬の王子様を待ってたらいいの…」といったレベルのきつさではありません。飴とムチの、あれ、飴が無くないですか?!みたいなきつさです(笑 老婆心に、「あんたよしときなさいって」と言いたくなります。私の子どもたちには、できるなら一人でこんな経験させたくないです。
 
ツインレイ・プログラムは、神の愛、もとい自己愛を学ばされます。でもその教え方が超スパルタ(笑 お母さんみたいに「私がこんなにあなたを愛してるから、あなたも自分を愛していいんだよ♡」って教えてくれりゃいいのに、実際は「そんなに自分卑下するなら、一回踏みにじられたらちょっとは自分の価値にも気づくんでね?」みたいな…「そんなに死にたきゃ死んでみろや(そしたら命のありがたみもちょっとは解るだろ)」と大差ないロジックで「教えられる」んです。
自己愛に向き合うまで、愛なんかまともに感じられるもんじゃ無いですよ(笑 ツインは常に愛してくれますが、それが解っていても、自己愛が不十分だと満たされません。
 
大体、ツイン・プログラムって無理やりです。というか、ツインレイとして生まれている時点で人生はなから無理やりプログラムに乗せられてます。ここで言う無理やりとは、勿論個々の意識の範囲であって、「魂の時点で自分でそれを選んだのよ」と言われれば、魂の時の記憶無いんで、そうなんですか?としか言いよう無いですが…
ですので別に私は自己愛と徹底的に向き合う人生を望んだわけでも、望んでいるわけでも無いのですが、「そういうふうになっちゃってる」がここにいる一ツインレイの現実です。えぇ、主人にはそれはもう深く愛されています。えぇ、それが何であれ、何か神秘的な力に(いじめられながらも)がっちりサポートされているのを感じます。それを幸福と取るかは個々人の精神状態によるでしょう。運命にいじめられすぎた私は、現在に至っては無の境地に近づきつつあって、別段強く幸福を感じることはありません。時折「あぁ、自分幸せ者なんだなぁ」と他人事のように思いますが。
 
勿論、すべてのツインさん達が私のようで無いことも皆さんすでにご承知だと思います。ツインレイの甘美さや偉大さといったイメージを追いかけたい人は、そもそも私のような口調のブログを読んでいないでしょうから、こんなツインレイのカミング・アウトが実際誰の役に立つのかは分かりませんが…
素敵な恋愛が目的ならば、まずツインレイはそれに含まれないと思ったほうがいいでしょう。自己愛、もとい神の愛を感じることを極めたければ、別にツインがいなくとも、あなた自身はそこにいます。あなたの意思さえあれば、自己と向き合うことはいつでもできます。(繰り返しますが、ツインレイは強制なんです…自己から逃げようったって逃げさせてくれないんです。)
 
強制的に、契約書にサインした記憶も無いのにツインレイのレールに乗せられた者からしたら、ツインレイのシステムを知り、知識を深めることは死活問題になりえます。それまで通りエゴのロジックにしたがって生きていくのにどうしても限界を感じる時が来ますから。でも、自分がツインレイかどうかも分からないうちからツイン探しをするのは大変危険です。むしろそんなものに気を取られずに、ツインでない、できれば普通に幸せな人生を生きて欲しいです。
 
ツインレイはヒーロー・ヒロインじゃありません。個々のツインのシナリオは、確かに個々をヒーロー・ヒロインのように感じさせる物が多いですが、健全な自己愛を持ってしたら、人間誰しもが皆ヒーロー・ヒロインです。皆自分だけのストーリーを生きています。そのストーリーの中で本当に自身を主役と思えるかどうかは、あなたにかかっています。
ツインレイが自己愛に向き合わされるのは、そもそも私達の自己愛が不完全だからです。不完全であればあるほど、試練もきついものとなるでしょう。全く完全な自己愛なんてものがあるのかは解りませんが、少なくとも、「ツインレイになりたがる」ということは「自己愛不足になりたがる」と同義になってしまうということはご理解いただけるでしょうか。そんなものに時間をさくよりは、まず一人で自己と向き合ってみる方が幸せへの近道では無いでしょうか。
 
個人の幸せにタイトルはいらないはずです。幸せは心で感じるものですから。
 
Pink Pigでした。