ツインレイ・プログラムと自分の人生

こんにちは、Pink Pigです。

 

私は自分のことを一応「ツインレイ」と認識していますが、その理由は単純に、私の経験してきたことや、していることが、「他に説明がつかない」からです。(ツイン・ソウル、ツイン・フレーム等についても読みましたが、当てはまらない箇所の方がツインレイよりかなり多いです。)

「ツインレイはこういうもの(それ以外は違う)」といった記述は沢山読みましたが、それら自体が互いに矛盾しているし、私は特に、そこから「ツイン相談」等のビジネスに繋がっているブログに懐疑的です。皆がそうとは言いませんが、ビジネスをしている以上、その人は自他共に「真実を知っている(べき)」というプレッシャーに囚われるからです。逆に、真実にピュアに近付こうとするならば、「無知の知」から始める方が近道だと思います。

 

スピリチュアルな事象について「これが真実です(それ以外は違う)」と言う人は、何を根拠にそう言っているのでしょうか?自分のケースがそうだったから?マジョリティがそうだったから?はたまた、どっかの誰かがそう言ってた/書いてたから?あなた自身が神に聞いたから?(それ、あなたの神でも、他者の神とは限りませんが…)あなたが正しいと、あなたが感じたいから?

上記すべて、「これが真実です(それ以外は違う)」と謳うには何も根拠がありません。「おそらくそうである可能性(が高い)」ぐらいのものです。

何を信じるか信じないかは自己責任ですが、あまりにも具体的根拠の無いことを、救いを求める他者に「絶対的真実です」と売るのは罪深いことではないでしょうか。スピリチュアルは、誰も立証も反証もできない分、言いたい放題なところはあります。

 

私達は無知です。お互い助け合って、または触発しあって、何とか知識を得ようとしますが、ツイン・ブームそのものが歴史が浅く、その上色々道徳的に間違った方向にも使われています。カウンセラーが自身も精神的に問題を抱えている場合が多い(のでカウンセラーを目指した)ように、ツインレイに聞けばツインレイの事実や、その真実が解るといったものではありません。はっきり言って精神問題はツインレイにつきものです。明らかに精神を病んでる人に、自分の人生のあり方を乞うのもいかがなものかと危惧します。勿論、個人の自由ではありますが。

 

今回何が言いたかったかというと、「ツインレイ・プログラム(に関して言われていること)に囚われないで、あなたの人生を生きてください」ということです。プログラムに関して知識を得ることは有益だと思います。(そのソースは曖昧であるということを踏まえた上で。)私はその上であえて、「自分の信じるように」生きました。それがツインはどうするべき、どうなるべきといったことと矛盾しても。そして結果的に、どうやら大まかには結局プログラム通りに進んでいるようなのですが、プログラム云々に囚われなかったのは正解だと感じています。勿論、私の正解があなたの正解とは限りませんが、「精神的、物質的安定及びツインの揺るぎない愛」を求めている方々にとっては一つの正解だと思います。

秘訣は、「精神的、物質的安定及びツインの揺るぎない愛」のゴールに囚われないで、自分の信じるようにすることです。あれ、矛盾してますか(笑

 

もし本当にツインと離婚すべきと思ったら、していたと思います。もし子どもがいなかったら、ツインに沸を切らして他の男性と恋をし、関係を持ったかも知れません。(特に決まった相手がいた訳ではありませんが、当初の私は、男性経験ゼロであることからツインに馬鹿にされていると思っていました。)もしそれらの決断をしていても、それが「間違った」道だったと、私は思わないでしょう。ツインと会って別れたことも、人生のお勉強で、失敗とは思わなかったでしょう。私の人生は、少なくとも今の所ツインレイ・プログラムに沿って進んでいるようですが、ツインレイ・プログラムが私の人生という訳ではないからです。

私の人生は、私が何に翻弄されようとも、あくまで私のものです。籠に閉じ込められた鳥でも、籠の中で精一杯生きます。もし鳥の行動や感情が逐一コントロールされていたら、それはもはや機械で、命では無いでしょう。(私達は神に造られた精密な機械です、という観点は、ここでは置いておきます。)

 

だからと言って、私は「すべてジャッジしないで、すべて受け入れたらハッピー!」といった根本的な人間否定に賛同している訳ではありません。ツインレイ・プログラムや、他のツイン達がどうこうと言ったジャッジメントよりも、一人間として大切なことを基盤にジャッジすることを忘れない方が良いと思うのです。

因みに「全くジャッジしない」というのは、私達の住む二次元では不可能です。「ジャッジしないで」という時点で、その人はジャッジしてます。ジャッジするしないは、あくまでバランスの問題です。「よりジャッジしないほうがよりいい」と言った単純なものでもありません。

 

自由は責任を伴います。どんなに無責任でいたくとも、私達は見えないカルマの掟を生きています。「こんな私/あなたでもオッケー」なわけではありません。「こんな私/あなたでも愛する努力をする」、「本当の意味で愛せる自分になる努力をする」からこそ生は尊いのだと私は思います。

「何でもいっか/気にしないでおこう」と放棄しようとする人ほど、元が何でも良いと感じれないので、その苦しみから逃げようとしているという面が多々あります。そもそも、ジャッジするのが自然な人の脳において、ジャッジすること/されることが苦痛に感じだした場合以外に、ジャッジメントを放棄しようという発想自体生まれません。

ただジャッジすることが良いわけではありません。ただジャッジしないことも良いわけではありません。バランスです。

 

話が逸れますが、私が現時点で少し悩んでいるのはアパシー(無感動)ですが、ツインの優しさや気遣いから治り始めています。(そうです、「精神的に頼れない」ことで有名なツインですが、それは特に最初のうちで、私達の場合はプログラムが進むと共にかなり改善しました。時間はかかりましたが…)

ツイン女性は孤高と言いますが、自らを振り返ると、無意識に孤高を選んでしまっているところもあったんじゃないかと思います。プログラムからも孤独に追い込まれますが、私のツインの好きな口癖は、「冬は夜が最も暗く、星がもっとも輝く時」です。自分の置かれた環境や、内面を含めて、暗闇にいないと見えない光を、ツインレイ達は見つけるように促されているのだと思います。

 

Pink Pig でした。