ちょっとエゴについて

こんにちは、Pink Pig です。

 

今回はツインレイから外れますが…

 

「エゴはいけない。」は大嘘だと思います。

エゴが無いと私達は人間として存在しません。

すべてはバランスです。陰陽、二極化の間のバランスをいかに取るかです。

「完璧な黒/白」は私達の頭の中にだけ、概念としてあります。その概念を上手く使いながら、他者を含め、自分にいかに快適なバランスの環境を整えられるかが、幸福度に大きく関わります。既に幸福な人は、エゴがどうこう言いませんから。

 

「エゴはいけない。」は、もともと「エゴが強すぎて人生に支障をきたしている/不便を感じている」人にアンチテーゼとして使われるには有益です。人間として生まれた限り、多かれ少なかれエゴに悩むことは多いので、様々な宗教で表面的にエゴを非難します。

それと、エゴが何でもいけないというのとは大違いです。(そういう人に限って、自分のエゴがいかに強いかに盲目であるケースをよく目にします。その人が言ってることとやってること、また感じていることの矛盾をよく観察してください。オンライン上では見づらいかも知れませんが。)

 

エゴが強いあなたは、エゴがいけないと思っておいたくらいで調整が取れやすいでしょうし、逆にスーパー・エゴに支配されすぎているあなたは、エゴを認めて、通してあげる方が事態は改善するでしょう。

 

人間のすることはすべてひっくるめて「自分の為」です。他者を自分の為に助けようとすることや。他者を自分の為に求めるのを含めて。私はそんな人間が美しいと感じます。自分が他者に与える影響を何でもかんでも「これは実は自分の為(エゴ)だから、するべきじゃない」とか言ってたら、自分全部を否定しているようなものです。そもそも「全部自分の為」が人間ですから。

 

助ける対象としてでも、育む対象としてでも、愛する対象としてでも、または攻撃する対象としてでさえも、他者を求めながらも、他者に気遣いができる。自然と他者の喜びが自分の喜びになる。それ自体が全部、「自分の為」なんです。

他者をコントロール(しすぎては)いけないというのは、それが結局のところ、廻り廻って「自分の為」にならないからです。それと他者に対するケアがいらないというのとは違います。他者をぞんざいに扱うと、自分に跳ね返ってきます。いくら「自分の幸福が先だから」、「他者に幸福になって欲しいと願うのはエゴだから」等と自己正当化しても、返ってきます。自分/他者をおろそかにしたという、無意識の罪悪感は嘘をつきません。

他者も含めて自分の世界なので、あなたに関わった他者へのあなたの行動は、自分への扱いです。他者を通して、自分を愛し、また自分を律しています。律することも自分への愛です。他者の為に耐えることも、自分の為に耐えているのです。耐える対象を間違えなければいいだけの話(その見極めが難しいのですが…)で、何事にも耐えることを放棄してはただの自己中/自分への育児放棄です。

 

自己中は、本人が一番苦しみます。自分をコントロールすることを自分で放棄しては、自分の目標も達成できないし、自分の本当に欲するものも得られません。自分のモチベーションを自分であげるのだって、コントロールの一種です。

 

大切なのは、自分/他者に奉仕することも含めて、何が「本当に自分の為」なのか知っていることだと思います。それを知るにはハイヤー・セルフにコネクトすると近道かも知れませんが、試行錯誤で自分で探し抜くのも決して悪い道ではありません。

 

例えば、離婚したいけれど、したら子どもを手放さないといけない。でも子どもと離れたくない、等の状況にいるとします。

1.離婚すると、自分から子どもという幸せが奪われる。子どもという幸せを得る為に離婚しない。

2.離婚しないと、自分から他の幸せ(もっと素敵なパートナーを探すとか、嫌な結婚相手といないで済むとか)が奪われる。他の幸せを得るために、離婚する。

 

ここで「子どもを取りたいから離婚しない」が「正しい/間違った判断」だと決めつけるのが、そもそも間違いです。

1と2は、ただ単純に「どっちがより自分の為か」を天秤にかけているだけです。子どもの幸せ等を含め、すべて「自分の」欲するものです。

どっちを選ぶかは、状況に応じて、また個々人の性格に応じて、一万通りの「なぜ」が存在します。ここで後悔をしない決断を取れるかは、どれだけ自分を熟知しているかと、「自立心/自己愛」に関わると思います。どれだけ自分の判断を信頼できるかです。他者の意見は参考にはなっても、「あなたの真実」をつくれません。

 

1を取って、「子どものためだった(けど私は犠牲になった)」と不幸な結婚を嘆くのは、そもそも子どもという幸福をあえて選んだはずの自分軸を受け入れていません。人生何でも自分のエゴに美味しい選択しか無いわけありません。裏を返せは、あなたは「子どもという幸せを取る選択をできた」ということです。それをしたくてもできない人だって世の中にはいます。(子どもが至上の喜びだったのに無理やり引き離されたとか。)何て幸せなあなた。(皮肉るつもりはありませんが。辛いことが辛いのは承知の上です。)

 

2を取って、自分が子どもといれないことや、子どもが自分といれなくて不幸な子(だと思う)ことは相手/状況のせい、と嘆くのも、「自分の判断であった」ということを受け入れていません。(そもそも、2を1よりも自分の幸福と判断した人は、さっさと離婚していると思いますが。)裏を返せは、デメリットは何であれ、「離婚という選択のできる社会で生まれた幸福な人」です。したくたって、それ選んだら殺される人だって世界にはいます。

 

勿論、「どっちを取っても不幸は不幸」な状況も人生には多々あります。でも究極な話し、例え自分が誰かの為に死ぬ選択をしても、その選択が「自分の為」なら、それは自分の為なんです。完璧に他者の為というものは存在しません。

 

自分が「どっちも嫌」な選択のはざまで苦悩するのは、「どっちが本当に自分の為」なのか自分で解らないからです。つまり、自分が自分の苦悩の元凶です。そこに他者や社会への依存心(これそれのせいでこの状況に陥った。から…これそれが解決してくれないかなぁ。)が入ってくると、愚痴が多くなる一方で、苦悩も深まります。

偉そうなことを言っていますが、私も愚痴だらけです(笑 神様に文句言ったらいいと思いますよ。聞いてくれますから。(聞いてくれるのと、何でもあなたのエゴの言うとおりにするのとは違います。ハイヤー・セルフはあなたにとって「本当に良いこと」を知っています。)他者への愚痴はストレス発散にはなっても、自分と向き合う意思が無い限り、心の問題解決にはなりません。

 

「自分が本当に自分の為になる選択」を、自分を信じてすることができた、というのが、本当に「正しい選択」なのだと思います。「正しい選択」をした人には、その後何を被っても後悔の念はありません。この状況でどっちの選択が正しい等ということは、本来他者が解るものではありません。他者の賛同や批判に一喜一憂せず、賛同や批判をあくまで自分に向き合う肥やしにしたら良いと思います。

 

物事はすべてバランスです。「自分という世界の中の他者と自分」という関係の中で、他者を気にしずぎて自分をおざなりにしていたなら、「他者より自分を大事に」することよりバランスが取れますし、逆に他者(という他の自分)より自分を優先しすぎていたら、「他者の為に」と考えることでよりバランスが取れます。もう一度言いますが、ひっくるめて全部自分の為です。

 

「エゴを手放そう/自己中になろう」運動にかえって苦しむ人が減ることを祈ります。私も人生常に模索中ですが、あなたのエゴ、本当の意味でもっと大事にしてあげてください。

 

Pink Pig でした。