受け入れについて

こんにちは、Pink Pig です。
 
まず、ツインレイとは関係無く、「受け入れの心理」について思うことがありました。
他者は自分の鏡(自分と他者が一緒とか、自分が良くも悪くも他者に値するというのとは違います。)ですが、私自身も含め、人を見ていると「受け入れ」のマインドが他者のことでは無く、自分(受け入れ側)のことであることに気がつきます。
相手の何かれを「受け入れたい」と思うのは、裏を返せば「自分が受け入れて欲しい」んです。
例えば…
 
・「あなたがダメンズでもいいの。」=「私も実は自分のことダメ女だと思ってるから、ダメな私も受け入れて欲しい。」
・「あなたのしたいことは、何でもしたらいい。」=「だって私もしたいこと文句言われずにしたいから。」
・「あなたの怒りも悲しみも、全部受け入れる」=「私怒ってるの!悲しいの!誰か受け入れて!」
 
大概無意識ですが、この法則自体に、いいも悪いもありません。良い方向で使うと、自分にも他者にもリラックスできて、人生のストレスが減ります。
 
・「私ちょっとぐらいルーズな人でも気にならない。」=「私もルーズだけど、そんな自分許容してるから相手もジャッジしない。」
 
悪い方向にこじれると、相手に自分に対する自己欺瞞を投影するという、こんなトリッキーな状態にもなりますが…
 
・「あなたはダメンズなんかじゃない!私は知ってる!(本当はダメなとこあると思うからそう言うんだけど…)」
=「私本当は自分ダメだと思ってるけど、そう認めたく無いからいい女って思うことにしてる。」
 
許容する側は、相手を許容し、また自分も許容されることを要求するパターン(”Live and let live!")と、自分は許容されなくても、相手を許容しようとするパターン(尽くす/耐えることが私の幸せ)とありますが、どちらも無意識で求めているのは「自分が許される」ことです。
ここで大切だと思うのは、いくら相手を許容しようとしたところで、そもそも「自分が自分を許せていなかったら苦しむのは自分」ということです。
 
例えば、自分は「時間を守るのは他者への気遣いとして大事」と思って、時間厳守だったとします。でも「ツインは自然な姿で受け入れるべきだから、時間守らなくて許す」だと…普通に毎度遅れられたらストレスたまりますよね。
これが、「私時間守るとか気にしない。時間とか、あって無いような概念でしょー」で自分が遅れる方だと、人から待たされても気にならなくなります。(でもその結果他者に迷惑かけて、非難される/避けられるのは自己責任ですが。ルーズな人の周りにはルーズな人が残るので、それでいいっちゃいいです。)
ちなみに「自分はいいけど人がやったら腹立つ」という人は、本当は自分も拒否しているので、隠れ自己嫌悪に陥っているでしょう。
 
自分が癒やされたくて人を癒やしても、自分の傷は根本的には癒やされないのと同じに、他者を「許した気」になっても、自分が自分を許せていなかったら、あなたが本当に欲しい「自己受容」は得られません。
 
ツインは他者一般よりずっと濃い「自分の鏡」なので、ツインを「許した気」になっていると、そのまま自己欺瞞真っ逆さまです。反対に、相手はひとまず置いといて、「自分を許す」ことから始めると、相手も自然に許せるか、もしくは問題自体が無くなります。
一見矛盾しているようですが、これが、私が「許せないものは許すな」と言う所以です。自分を許せて無いのに相手を許そうというのは「自分への嘘」だからです。
 
劣等感の強い人は、自分の劣等感と向き合いたく無いために、同じく劣等感の強い他者と傷のなめ合いをして自分を癒そうとします。実際それである程度癒しを得られることもあるので、ただ悪いとは言いませんが、そういった場合もし相手が自信を得だしたら、不安を感じて引きずり下ろそうとします。下降スパイラルに陥りがちです。
一方自分に自信のある人は、自然に自信のある人を呼び寄せ、または他者に自信をつけさせ、さらに高みを目指すことを喜びとします。相乗効果でポジティブなエネルギーが増えます。
 
つまり「本当の許容」とは、「本当の自己許容」=自己愛や自信からしか生まれないということです。そこから生まれた許容は、もはや「許容している」という意識にすら上らないものです。受け入れようと努力しなくても、ただそこにあるものです。あなたがゲップして「あ、ごめーん」で済ませて、恥ずかしくも感じなかったら、他者がゲップしても「何やっとんじゃゴラァ!!」ってならないでしょ?
 
この法則で考えてみると、ツインである主人に常にダメ出しっぱなしの私は、実際どんだけ自分に厳しいのかと…(勿論、自分ができないことは相手に求めないよう気をつけてはいます。)どこが許容と拒否の丁度いいバランスなのか、今も模索中です。ちなみに主人は私が嫌だったことを改善していってくれているので、最近では怒ることもかなり減りました。私も主人に「悪気がない」ことが飲み込めてきてからは、許容範囲が広がりました。結果はどうあれ相手に誠意さえあれば、怒る気とか無くなるんです、私は。
 
このブログでは何度も伝えていますが、心の中だけでも、「何も拒否/ジャッジしない」というのは無理です。
もしあなたが、自分の欲しい物の為なら人を傷つけることに何のためらいも無く、もともと愛なんてものを信じないので表面的な快楽だけを追い求め、そのためなら自分さえ報復を受けなければ、モラハラ、暴力、嘘やチートでも何でもするという人間だったら…そんな自分を愛せますか?無理です。愛せないのに、愛していると思いたいから必死に表面的に理想の自分になろうとするのがナルシストやサイコパスです。(そして彼らは、勿論他者を愛するなんて論外です。)
 
自分でも他者でも、嫌なところがあった時、少なくとも「改善しようとしているかどうか」で、かなり見方は変わってくると思います。私は誠意の無い人は潔癖に嫌うところがありますが、「人/自分の為に結構努力してはいるけど、結果が中々伴わない」人は意外とあっさり許せます。努力=無理とは違います。まず問題意識を持って、問題を改善しようと考えてコツコツでも実行するのが努力です。
手の無い人に手を生やせったて無理でしょう。無いものは無い現実はさっさと受け入れた方がお互いの為です。(脳の機能だって限りがあるんです。)でもその人が「私手が無いんだから、あんたがあれもこれもやって当然よ。」という態度か、「私手が無いから、代わりに歩いて協力できることするね。」かでは、全然その人に対する評価が違うでしょう。
自分にも他者にも誠意を大切にすることは、結果自分と他者を大切にすることだと、私は思います。
 
 
Pink Pig でした。