男女平等なんて大嘘という話

 こんにちは、Pink Pigです。

 

今回は私なりに、「男と女について」真面目に書いてみようと思います。

そこから、タイトルにもあります昨今の「男女平等」についても。

「大嘘」というのは、「社会のシステムが…個人の価値観が…」という方面は置いておいて、まずざっくりと気の流れ、もといスピリチュアルな観点から、大多数の男女がどのように造られているかということ。

ここからはざっくり書くので、「私の意見」として読んでください。

トンデモ論だと思う方もいれば、ストンと腑に落ちる方もいると思います。「あぁ、やっぱりね」って。

 

まず最初に、陰陽で言うならば、男性は陽、女性は陰ということは以前お話ししました。そして陰陽は立場によって変わるので、母子では母が陽、子どもが陰ということも。付け加えるならば、大人は陽で、介護が必要な立場の老人は陰になります。

 

上手く言い表す言葉が思いつかないのですが、まぁあくまで比喩として、はっきり言ってしまうと、「女性は男性の子ども」なんです。男から女へ、女から子どもへと、(子どもが成長した)大人から(大人が年をとった)老人へと、気は巡っていく…ハズでした。それが自然で理想な流れということです。

 

男性というのは、気のレベルで常に女性を追っています。実際にセックスをしたいという次元を超えて、老人になっても、男性は女性に気が行きます。スケベ爺みたいなレベルを通り越して、ミューズとして魅力的な女性に、男性は常に畏敬の念と言うか、恐れと愛情の入り混じったようなものを感じています。

一方、女性は「男性に気にしてもらえる自分」に気がいくものの、いざカップル成立で子どもができると、女性の気は子どもに行きます。老人になっても、赤ちゃんを見ると可愛いわねぇとうっとりしてくれるのは、大概おばあちゃん。

 

男性は、女性はと書くと、必ず個人差があるので、「いや、自分ばっか可愛いマザコン男だっている」とか、「いや、男追いかけるのが好きな肉食女子だっている」とか言われそうですが、ここでは「男性性/陽」、「女性性/陰」について書いていると理解してください。実際女性性の方が強い男性もいますし、男性性の際立つ女性もいますし、それが悪い訳ではありません。あくまでジェネラルな性差の話です。

 

で、ですね、女性が男性の子ども的な立場であるということをイメージで想像できるよう、「ある幸せな女性の一生」を描いてみたいと思います。

A子さんは、愛情深い両親のもとに生まれました。母親からは「どんな自分も無条件に愛されている」という自己肯定感をもらい、父親への憧れから訪れたファザー・コンプレックスも、「パパは子どもとしての自分を愛してくれてるけれど、やっぱりパパの一番はママ。私もパパがママを想うみたいに、私のことを愛してくれる旦那さんにめぐり合いたいな。」と、健康に卒業しました。

やがてA子さんが年頃になると、A子さんの両親は、娘の気持ちを尊重しながらも、お付き合いする相手の男性が「娘を幸せにできるかどうか」を気にしだしました。特にお父さんは、「俺の代わりを務められるほど娘に愛情をもって接し、苦労から守ってやって欲しい」というのが本音。

やがて縁あって、A子さんは自分のすべてを受け入れ、愛してくれる男性とめぐり合い、結婚しました。お付き合い中は、彼は「俺のA子」と他の男性を寄せ付けまいとし、仕事熱心で気が強い一方、A子さんにはとことん優しいことに惹かれました。

ほどなくA子さんは妊娠し、愛しい我が子に恵まれました。A子さんに是非とも自分の子を産んで欲しかった夫は大喜び。A子さんはと言うと、育児を通して母になるにつれ、自分は人生の大半を子どもに気をやって過ごしていることに気が付きます。夫は慣れない家事や育児におぼつかないながらも、A子さん第一、家族第一で生きてくれる人。そんな夫のおかげで、A子さんは安心して子育てをし、子どもに目いっぱい愛情をかけてあげることができます。生まれて初めて、「無条件で愛してる。どんなことがあっても私が守る」と感じる存在の誕生でした。夫もそんなA子さんの子どもへも献身的な愛に、感謝の気持ちでいっぱいです。

A子さんの夢は、「これからもずっと、パパとママみたいに幸せな夫婦でいて、幸せな子どもを育てること。」それから、年をとっても夫に愛されて、子どもにも大事にされるような人間でありたいな。

 

…どうでしょうか。結構ありきたりな「女性の幸せ」ストーリーではないでしょうか。でもその「ありきたり」が闇によってどんどん攻撃され、崩されていったのが現代です。

例をあげるなら、最近は「男女平等だから」と、結婚しても女性に働いて欲しく、夫婦別財布で、自分の稼ぎは自分にキープしたい男性もいると聞きます。この男性が女性に求めているものは、いわゆる「俺の〇子/子ども」では無く、「同僚/戦友」です。

男性には、戦友に対する「友愛」というものがあります。一緒に狩りしてた仲間には、命を預けれるほどの信頼と愛情が必要だったのだろうと思います。現代の「男女平等」では、男性が女性を女性として愛することを忘れ、「友愛」でもって夫婦をやっていこうとしているのかと思える節があります。

でもね、それ大半の女性からしたら嫌なんです。何が嫌かって、「男性のお金にたかれないから」とかいう現実面を通り越して、気の流れからして一家の「女性/母」というポジションを失うからです。

何故女性は「無条件に愛してくれる男性」に惹かれるのか。それはそういった男性のもとでこそ、女性が「安心して子を産み、子育てができる」からです。本能的にそれが解かっているんです。(男性性が強い男性も、自分がとことん愛せた女性の方が、自分の子どもをしっかり育て上げてくれることを解かっています。現代の男性は、闇に男性性を攻撃され続けて、自己の男性性に目覚めていない人が多いと思いますが。)

「〇子を幸せにすることが俺の幸せ。できることなら、何でも欲しい物も買ってやりたい。かまってやりたい。働かずに楽して、好きな趣味とできるようにしてやりたい。常に心からの笑顔でいて欲しいから。俺とお前の子も、俺が命を懸けて守る。」

そんな男性だからこそ、女性は安心して「愛の巣」に落ち着き、一途にその男性を愛し、健康な子供を産み(妊娠中を含め、母親のメンタルは、子どもの健康に影響を与えます。気から言っても、愛と安心感のあるセックスと、相手の愛に不安を感じるセックスでは、お互いの体と子どもに与える影響が違います。)、子育てを楽しむことができるのです。今度は自分が子どもに、「この子を幸せにすることが私の幸せ。できることなら、何でも欲しい物も買ってあげたい。かまってあげたい。いっぱい遊んで、嫌なことはできるだけやらなくていい日々にしてあげたい。常に心からの笑顔でいて欲しいから。パパとママが、あなたを命を懸けて守る。」と言う番です。(誤解の無いように言っておくと、愛することと甘やかすことは別です。「相手の為に」躾をするのも愛です。)

 

まぁお幸せなご家族だことって感じですが、それの何か良いのかと言うと、個人の幸せもさることながら、そのような家庭の集まりで成り立った社会、グループが、結局のところ「強いから」なんです。

家族の為に命を捨てる覚悟のある男、夫に忠誠心を持ち、子の為に命を捨てる覚悟のある女、健全な自己愛で満たされて、メンタルもスピリチュアルも無敵な子ども達が大人になって戦う… 悪が付け込んだり、堕落させる隙が無いんです。

そもそも、男性が無条件で敬われていた裏には、人間の世界は常に様々な形の戦があり、男はよく死んでいたという事実があります。死と隣り合わせ、自己犠牲と隣り合わせの生。それが敬われる条件だったとも言えます。

現代では国や政府が、いわゆる国民の親的ポジションをとり、男性だって当然できれば死にたくないですし、代わりに社会を建設することに労力を割き、平和な時代になったねぇ… と、思っていたら、違うんですね。

戦いは今でも起きているんです。愛する家族を守り切れなかった男性も沢山います。

解かる人には何のことを言っているのか解かると思います。

闇は本当に狡猾でした。一番平和ボケしてはいけない男性をうまく手名付け、力を奪い、見えないところで女子もろとも総攻撃です。沢山の男性は、女性を守れませんでした。沢山の女性は、子どもを守れませんでした。でもそれは仕方が無かったと、私個人としては思います。失敗してみて初めて学ぶのが私達人類なんだと。

 

ちょっと話がそれましたが、ざっと気の流れが見えてこられたでしょうか。だから、うわべだけの「公平な正義」をいくら唱えても、「妻を食わしていくのがそもそも嫌」という男性がもてないんです。(あと、子ども嫌いな女性がもてないのもしかり。男性としては、自分たちの子どもを愛を持って育てて欲しいですから。)

 

「子育ては女の仕事」と、言わなくても思っている男性をあえて擁護するならば、それは「そうだったから」。女性脳は子育てに有利にできているし、男性脳は社会的に有利に働く。だから男性の本能としては、「女を愛しておけば、子どもは女が育ててくれる。」というのは自然と言える。

でもね、子育ては昔一人の女でしてたんじゃないのよ。家族、親戚、コミュニティ、皆協力して大事な子ども達を育てたのよ。今の女性のワンオペが色んな意味で無理があるのは、闇が核家族制度を広めて、女性が「非常に不自然な形の子育て」を強いられているから。

それに気づかない男性は、自分は変わらず社会で活躍していれば良いという本能なので、「なんで子どもぐらい育てられないの?」と、子育てに値を上げる女性に不満を持ちますね。一方無理な子育て形態を強いられて、特にその上仕事もしないといけない女性は、「男女平等」だから男性も家事・育児をしてよとなる。

男性脳って…ぶっちゃけ、家事・育児不得意なんですよね。それで女性は女性で、「何でこんなこともできないの?やる気あるの?」と男性に不満に…

闇の思うつぼですね。人間社会って、男女の違いを一から学び直さなければいけないんだろうなと思います。

 

少し長くなりましたが、とりあえず今回はこの辺で終わります。

次回は、今回述べた「女性は男性の子ども」という流れが、ツインレイでどのように表れてくるかについて書きたいと思います。

「究極の夫婦」なのよ、ツインレイって…

 

Pink Pigでした。

陰が先であるということ

こんにちは、Pink Pigです。

 

陰陽の仕組みについて、「陰が先である」ということを最近読んだのですが、なるほどと思いました。

どういうことかと言うと、陰が陽を決定するんですね。例えば、陰である女性が、陽である男性を変える。変えるといってもコツがあり、これが巷で言われる「女性はまず自分を幸せにしよう」ということかと思います。陰は内側に、陽は外側に働くので。

 

そこから思ったのは、きっと陰である女性は内向きに自分と対峙し、自分を変えることについて、陽である外の世界、男性や社会を変えることができるということ。これは偉大な力です。

一方陽である男性は、自分で自分を変えることはあまり得意ではないけど、外側、他者や女性に直接働きかけることで、影響を与えることができる。マイフェア・レディでは、レディとして扱えば、自ずと相手もレディへと変わると言ってましたね。

陰陽、男女は、そのように相互に影響し合っているのだろうと思います。

 

が……

 

闇は狡猾に、男性に神との繋がりを与える女性を陥れました。日本で言えば、江戸時代は安定しており、女性も生き生きとしていたと言われます。ところが財産などに関する女性の権利が奪われ、政府の方針が意図的に女性を弱者となしました。

それでも両親のサポートがあればともかく、すったもんだで現代においては核家族の時代です。日本女性は「どっちを向いても無理ゲー」状態に置かれ、しかもそれが普通なんだと洗脳されています。歴史的に見て、今の状態ってかなり「異常」なんです。

 

孤独な専業主婦で育児のワンオペも、共働きプラス家事育児も、独り身で頼れる男性がいないのも、皆無理があります。人間の精神構造や女性の肉体的構造からしても、無理を強いられていながら、黙って甘んじるしかない状態に押し込まれています。人は肌の暖かさを感じられるようなコミュニティから引き離され、村に一つ合ったらいいだろうぐらいの物を、「一家に一個/台」買うため労働することに月日を費やす仕組みです。

だってその方が「あっち側」がコントロールしやすいから。

 

また、世代の違う人々、つまり家族、親族、同地域に住む様々な人々の交流を少なくすることは、洗脳のしやすさに繋がっています。同じ年齢の子どもだけがクラスにいることって、普通じゃないんです。一見効率よく見えますが、そうやって年代分けすると、皆一緒くたに洗脳しやすいんです。洗脳から守ってくれるおじいちゃんの意見や、または妹、弟の持つ素朴な疑問も、そこでは受け入れられません。

 

男は仕事一徹に熱心に働かせ、家族との時間を少なく。女は疲労させ、男女の仲を裂き、子どもは国が洗脳。これが闇の仕組んだ「現代社会」です。

 

でも!そこで女性が目覚めたら…?

 

先ほど述べた通り、陰は陽を変える力があります。

女性はそもそも、神を陽として、陰として神の言葉を受け取る、つまりシャーマニスティックな力が強いんです。そして神は今女性に、「自分を愛しなさい」と言っているのだと思います。それが、世界を変える一つの鍵だから。

 

子どものお迎えがあるので、今回はこれまで…

 

Pink Pigでした。

 

霊界の派閥の謎

こんにちは、Pink Pigです。

 

神人さんと大日月地神示につては何度か少し書きましたが、神示とてもお勧めです。時々主人が「何か悪いモノに憑かれてるなー」と思う時は、「おーーうーー」と三回唱えると、速やかに悪霊がいなくなっているようです。憑かれやすいみたいなので、主人…

 

一方で、私は密かに神人さんが大日月地大神霊団の方々から、ツインレイについての正しい知識を授けられ、混沌としたネットの「ツインレイワールド」を掃除してくれないかと期待していたのですが、どうもそうはいかないようです。

どうやら神人さんは、ツインレイ、もといスター・シードという実在する存在についてご存じないようです。それは勿論、神人さんが知らないのが悪いという話では無く、つまりは彼の繋がっている霊団に教えられていないということですね。繋がっている霊団、つまり大日月地大神霊団…

 

神人さんもおっしゃっていますが、ツインレイには「西洋的宗教観」が反映されている。主にキリスト教ですね。私の印象では、恐らく西洋でキリスト教信者であった方々の霊団が関与しているんだろうと思います。神人さんが繋がっている霊団はどうやら「日本より」なので、西洋/キリスト教的霊団のメッセージは降りてこないと。

霊界でも結局は「出身地」とか派閥かよ…とちょっとゲンナリなんですが、でもちょっと待ってください。

 

大日月地大神霊団は、今起きている(もう起きた?)魂の振り分けは、キリスト教で言う「最後の審判」だと認めています。私の知る限りでは、メジャーな宗教で「皆最終的に神に裁かれるのですよ。そうならない為に悔い改めるべきなんですよ。」と教えていたのは、キリスト教だけです。つまり知名度から言えば、今この時代に大日月地大神霊団が教えていることは、そもそも「キリストが大元」なわけです。(キリストの後、「キリスト教」に色々歪められたでしょうが、宗教は知名度を上げる役目は果たしました。)

(追記;あと、大日月地大神霊団の言う「胸に十字を切って丸で囲む」という教えで、本の表紙にもなっているマーク。キリスト教にも「胸に十字を切る」というのが定着していますよね?実はキリスト教の十字はもともとは正十字であったのが、悪魔に今のような「磔の十字」へと歪められたのだという説もあります。やはりキリストは大日月地大神霊団と同じ系統の霊人達と繋がっていたと思われます。)

では、キリストが繋がっていた霊団とは…?キリストと宇宙人との関係についてはちょこちょこ述べられていますが、ではキリストを教えて、サポートしていた宇宙人達は、どの霊団と繋がっていたのか?

 

さぁ、どんどんややこしくなってきました(笑 キリストが太陽神と被ったり、最後の審判と大日月地大神霊団の教えが被っていることから、私は皆「同じ太陽霊団」と思っていたのですが、違うのでしょうか?それとも同じ霊団の中の、違う部署?笑 もしくは、まぁざっくり同じ霊団なんだけど、神人さんにはツインレイについて知らない方がいい理由があるとか…?

 

あぁ、ややこしい。大体、地球上の輪廻とはどうやら本来違うところ位置するにスター・シードとか、霊団的にはどうなってるの?魂になってまでも、出身地と派閥に振り回されて情報が共有できない/阻まれる霊団達。私は前世は恐らく日本では無くヨーロッパのどこかにいたんだろうと思うことがあるのですが、地球での前世以前に、宇宙に目覚めてしまうスター・シードは、そもそも宇宙人だったのか霊的存在だったのか…

 

謎が謎を呼ぶ霊世界事情。今後人類全般の霊世界に関する意識が上がるにつれて、色々もっと明確になったらいいのになぁと思います…

 

Pink Pigでした。

ツインレイ女性の愚痴 ースターシードより2ー

こんにちは、Pink Pigです。

 

前回の続き、

3.物や事象に対する「限界/リミテーション」について、イロジカルな考え方をする。

について説明したいと思います。

 

ここに飴が二個あるとします。二個とも自分で食べますか?一つ他の人にあげますか?二つともあげますか?

どんな時に自分で食べますか?どういった場合では人にあげますか?

「飴」は何にでも例えられますし、どの答えが間違っているというものでもありません。

 

誰かにあげると、「飴」は無くなりますか?

またどこかで得られるのではないですか?

でも「その飴」はそれっきりですか?

では何故「その飴」が欲しいのですか?自分をいい気分にしてくれるから?

では「自分をいい気分にしてくれるもの」は「その飴」に限られますか?

また別の「自分をいい気分にしてくれるもの」が見つかるのではないですか?

そういった意味では、あなたには一個以上の「飴」が、もう沢山与えられているし、これからも与えられるのではないですか?

 

私達が生活する中で、沢山のものが、リミットがあるようで無いものだと思います。

お金を使えば無くなります。でもまたお金を得ることもできます。スピ系の人なら、お金も循環するエネルギーだと聞いても違和感は無いかと思います。

愛は無くなるでしょうか。注意を向けられていないと、愛が無くなったように感じるかも知れません。でもそれは一時的なことで、また別の時に愛が伝わってくるかも知れないし、もしくは別の人に愛されるかもしれません。

あなたの価値は無くなるでしょうか。人としての価値はいかようにでもつくることができるし、神からすれば存在しているだけで尊いものです。

命は無くなるでしょうか。その人として生きてきた体は無くなっても、魂はまた別の生を生きます。

 

沢山のものや事象が、リミットは「あってない」ようなものだと思うのです。

もちろん、色々なものに現実としてのリミットはあります。オイルだってそのうちつきるだろうし。(一方でクリーンエネルギーのような、エネルギーは尽きないという説もありますが。)動物だって狩りすぎたら絶滅するだろうし。物や事象を「どう循環させるか」という配慮は大事。

でも人間として生きると、「自分」が受け取る、もしくは与えるものに関して、「我」が強ければ強いほど、「リミットの幻想」に振り回されて生きているように思えます。

 

お金や富を必要以上に持っていても、もっと欲しい。他者と分かち合えない。

誰かの愛や注目が他の人に行くのが怖くて、嫉妬したりコントロールしようとする。

他者が優れていると自分の価値が無くなるような気がして、足を引っ張ったり、自己嫌悪に陥る。

自分の為なら、他の誰を犠牲にしても厭わない。

 

これらは私もよく躓くことでもあります。でも、人間として躓きながらも、そのリミットに対する不安がいかに幻想であるかについても、時に思い出して、大きな目でものごとを見れたらいいと思います。ちょっとぶっきらぼうな言い方をすれば、日々人の心を悩ませている沢山のことが、実はそんな大した問題では無いのです。では、リミットについて悩む人と悩まない人の違いはなんでしょうか。

 

例えば、物でも愛情でも、「もらってなかった子」は、欲が深くなる傾向があります。飴は全部私の物。人にあげるなんて、身が引き裂かれる思い。お金も、愛も、価値も、もっともっと欲しい。十分なんて無い。取られることが一番怖い…

結果その子はそれらの物を得る為に奔走し、それでも満たされない人生を送るかも知れません。過去に飢えた記憶があるので、「無くなるかも知れない」という恐れに縛られ続けるのです。

 

一方「十分にもらった子」は、リミットに対する恐れが薄いです。飴があれば食べるけど、私よりも飴が欲しい子がいればあげる。だって私は、また飴をもらえるから。

私に飴をくれた人は、くれるのが楽しそうだった。だから私も、あげるのが楽しい。私に飴をくれた人は、私が喜ぶのを見て嬉しそうだった。だから私も、人が喜ぶのを見るのが嬉しい。お金も、愛も、価値も、私は十分に持ってる。もし無くなれば、また神様/運命が得させてくれる。大丈夫、何も無くならない。分けさせてくれて、ありがとう。

 

人にとっての幸せは、形は色々あれど他者との繋がりにありますし、エネルギーの自然な姿は、循環していることなんですね。どちらがいい悪いと言うより、「あげたい子」は、単純に「あげたくない子」より幸せになれるんです。

 

世界は繋がっていますから、幸せな人が多ければ多いほど、幸せだった人ももっともっと幸せになれます。それもリミットレスです。自分が幸せである為に、他の人を不幸にする必要は無いんです。自分が不幸な時に、幸せな他者を見るのは辛いかも知れません。でも周囲が、世界が、幸せな人であふれてきたら、結果的にあなたももっと幸せになれるのです。

 

資源にしても、富にしても、個人の幸せにしても、そこに「決まった量があり、それがなくなる前に取り合わなければいけない」という概念だと、長い目で見ると結果的に皆で不幸になります。でも「循環させ続ける限りリミットは無く、皆必要なだけ与え合うことができる」という概念だと、皆で幸せになれます。

 

少しとりとめの無い記事になりましたが、少しでも言いたいことが伝われば良いなと思います。

 

Pink Pigでした。

 

 

ツインレイ女性の愚痴 ースターシードよりー

こんにちは、Pink Pigです。

 

最近気づいたのですが、どうやら私、スターシードのようです。

 

…「いや、ツインレイ語ってる時点で、スターシード認知前提でしょ?」とつっこまないでください。

スターシードについては当然読んだことはありますが、あえてスルーしていたんです。うん、私も旦那も特徴当てはまりまくるけど、「まぁそれは置いといて」扱いだったんです。認知するのが嫌だったと言っても過言ではありません。その理由は、

 

ー いかにも胡散臭いから(笑 あるタイプの人の劣等感を満足させるような記述満載で、「何かになりたい」ナルシズムの果てと思われても仕方ない。

実際のところ、主人は自称「なんたら星から来たウォークイン」とのたまわっていた「自己愛性パーソナリティ障害」の雇い主の元で働いていたこともあります。私は「自称天使」の発達障害を持った子が、結構エゴイストだったことも知っています。今思えば、魔にわざとそういう人たちを見せつけられていたのかもだけれど。

 

ー 自分がスターシードと分かったところで、私自身にあまりメリットを感じなかったから。ツインレイについては、自分では意味の分からない事象の説明や、プログラムの流れ等、知識として知ったことで役に立ったことが沢山ありました。でも自分をスターシードと知ったところで、「じゃあどうすればいいの」ということがあまり無かった。主人は社会に適合するのに結構苦労していますが、私自身はそこまで不便を感じていなかったし。恐らく私は何度も地球に転生していたのだろうと思います。主人は超宇宙人のままだけど(笑

 

なので、今更スターシードだと観念したところで何が変わるのかというと、特に何も変わりません。ただそう思ってみると、納得のいくことは多々ありました。その中から、おそらく私が「宇宙系」であるからこそ感じる、いわば地球人への違和感、その中でも「マイクロとマクロへのアプローチ」について書いてみたいと思います。今の時代に繋がるテーマでもあるのではと思います。

 

まずざっと書くと、私は今まで出会った人たちから下記のことに違和感を感じていました。

 

1. 際限なく分けようとし、またそこから己の優越性を唱えようとする。

2. かと思えば、イロジカルに一緒にしようとする罠にはまってしまっている。

3. 物や事象に対する「限界/リミテーション」について、イロジカルな考え方をする。

 

一つ一つ説明すると…

1.際限なく分けようとし、またそこから己の優越性を唱えようとする。

何かと何かに「分ける」ことは、人の機能の一つで、必要なことです。でも多くの場合、自分と他者を分けた後、「だから自分の方が上」って思いたがることありませんか?もしくは、「自分の方が下」と勝手に思って、相手を羨んだり。

 

たとえば私は少し特殊な生立ちがある故、「主に標準語を喋る関西人」なんですね。イメージとしては、標準語にごくたまに関西弁アクセントが混じる感じです。それが私の生立ち上自然に感じる為、特に「完璧な関西弁/標準語を話そう」という努力はしていません。また私は「どの方言が上/下」という感覚も無いため、会う人の方言によって、自分に関係無くてもランダムなものを真似して取り入れることもあります。(でも好みとしてあまり「チャラい」感じが強すぎる話し方は好きじゃありません。言霊ってものもあるしね。)

でも日本では、関西の人からは「なんで関西弁じゃないの」と訝しがられ、「その関西弁間違ってる」とダメ出しされるし…(笑)関東の人からは、「あれ、関西出身?(ププッ、隠しきれてないけど?)」とまるで私が関西出身であることを恥じているかのように誤解されるし… もしくは私が流暢な(?)標準語を話すからか、「関東びいき」と思われたようで、東京の方に露骨に「(あなたは違うけど)なんで関西の人って云々なの?」と聞かれたりしたこともありました。

 

正直言ってね… 私からしたらそんなディテールどうでもいいのよ!!!笑

自分の地域や、そこで話される言葉に誇りを持つことが悪いと言っているのではありません。そこから勝手に頭の中で「自分グループ」や「敵対グループ」を作って、多かれ少なかれ攻撃したり、見下したりする態度が理解できないのです。

私は訳あって、「とりあえず言葉が通じることがありがたい」という異文化の中で人生の大半を過ごしてきました。国が違えば価値観も、日本内の地方間どころでなく異なるので、毎回多様な生き方や考え方に驚きながら、なるべく角の立たないよう相手の価値観を学んでいく連続でした。

勿論、私個人の信じるところとして、「あの国のここは素晴らしい」とか、「あの国のこの国民性は不道徳だと思う」等、色々あります。自分の心を自分に偽ること無く、いかに自分と異なる他者と共生するか。深刻な問題です。

そんな私からすると、「関西人/関東人ってさぁ」みたいな視野、あまり興味ないんですね… そりゃ実際に色々違いはあるのだろうと思いますよ。でも関西の人と関東の人が、相手を敵視したり、見下したりすることなく普通に交流するのって、そんなに大変ですかね?

(関西出身であることを見下されても、羨ましがられることは無いのに対し、私が海外経験が多いと分かった途端やっかんだりする人は、日本人に結構います。私からすれば優越無く「ただそうだから」ですが、相手からすればお高くとまっているように感じるようです。ヨーロッパ人は自身があちこち旅行する人が多いので、相手からしてもどうってことないです。)

 

英語でも色々ありますよ。オーストラリア訛りの人は馬鹿にされることもあるし、ブリティッシュ・イングリッシュだと勝手にいわゆる上流階級だと思う人もいるし。正直馬鹿馬鹿しいです… マイ・フェア・レディじゃありませんが、発音よりも、話している人の魂を見極める方がよっぽど大事だと思います。

 

とは言っても、先ほども言ったように、「分ける」のは人間にとって必要な機能なんです。宇宙だって「分けた」時に色々始まったそうで。つまり、私たちは分けることによって、「あれでは無いこれ」とか、「あなたでは無い私」をより鮮明に認識したいんですね。だから人はどんどん分けるんだと思います。

アメリカ人じゃない、日本人です。関東人じゃない、関西人です。京都人じゃない、神戸人です。海側じゃなくて山側です… もし村なら、「あの家系出身」もあるだろうし、出身校、所属してたクラブ、勤め先の会社名、支持する政党… 個々人からしたら重要な情報かも知れませんが、私にはその重要度が解らない。感情的に、それぞれを馬鹿にしている訳で無く、どうでもいい… 人が私の出身地や出身校を気にする気持ちも分からない。

 

「分ける」こと自体が悪いのではありません。が、分けたカテゴリーによって不必要な優越感や劣等感を持ったり、不条理な仲間意識や敵対意識に囚われるのは良くないと思うのです。

 

その一方で…

2. かと思えば、イロジカルに一緒にしようとする罠にはまってしまっている。

 

世界は今、闇の勢力によって何でもかんでも歪めた形で「一緒くたにしようとしている」様子が伺えます。猫と鼠は一緒に住まわせない方がいいよねとか、馬は馬であって、牛にはなれないよねっていうレベルの、誰でも少し考えれば分かることをあえて無視し、人間社会に混乱と衰退を招こうとしています。男女の違いも無視、大人と子どもの違いも無視、国民性や人種的違いも無視等々… 無視どころか、それぞれについて間違った情報を植え付けることも。

 

人々の生活はこの闇の混乱作戦にかなり侵されていますが、大日月地大神霊団がとった作戦は、魂レベルで住みわけをさせることでした。「平和を保てないものは保てない」が、宇宙レベルでされた検証の結果だったんですね。それが残念な結果かどうかは個人の意見で分かれるでしょうが、大きな「神の目から見れば、すべては平等に尊い」のです。そして皆平等にカルマの法則の中でもまれていき、恐らく遅かれ早かれ、同じ方向に魂の進化を遂げるのでしょう。

 

同じところにあるべきでないもの同士はいます。

関西人と関東人に優越をつける必要は無いけれど、じゃあ関西も関東も無くして、混ぜこぜ半々で住まわせようかとか、大きな迷惑ですよね?それぞれの特性や、大事にしてきた文化を尊重してほしいと思うでしょう。とは言え、関西人と関東人を一緒にしても殺し合いはしないと思いますが(笑)、猫と鼠を一緒にしたらどうなるかは明らかですよね。

同じ扱いを受けるべきでないもの同士もいます。

私はあまりそのへん詳しくないですが、例えば大阪で知らない人に「おばちゃん」と声かけても、普通に対応してくれるかも知れませんが、東京だと失礼に思われるかも知れません。大阪のおばちゃんも、東京の中年女性も、人間の女性ですから、怒ったからって殴りかかってきたりはしないと思いますが(笑)、馬から搾乳しようとして蹴られたら、もう馬に文句言ってもしょうがないレベルですよね。

 

湾曲して書いていますが、解かる人には何のことか分かると思います。関西人と関東人の違いレベルで収まらないカテゴリーを、私たちは政府や政策、メディアによってどんどん歪められ、混乱から疲労してきています。

女に男になれと言えば、女性はやつれるだろうし、男に女になれと言えば、男性は衰退の道を辿るしかないのです。子どもに大人であることを強いれば、その子は本当の意味で成長できないし、大人を子どものように扱えば、やはり衰退の道を辿るでしょう。

違いを認める。違いに配慮する。お互いに敬意を持って接する。それが本当のハーモニーではないでしょうか。

 

長くなってきたので、3. 物や事象に対する「限界/リミテーション」について、イロジカルな考え方をする。については、次の記事にしようと思います。

 

Pink Pigでした。

 

イノセントなネガティブカルマとジャッジメント(あと、人を見ようねという話)

こんにちは、Pink Pigです。

 

ジャッジメントとその必要性には、何度か書かせていただいたと思います。正義と言う言葉を使った場合は、正義とは一つの見方として、「バランスをとる」ということであるとも。

 

まずややこしいのがね…

大前提として、なにが「正しい」のか、「間違っている」のかが主観的または社会的判断だとすると、この宇宙に「絶対的正義」は存在しないとは言えますね。ジャッジメントも主観的価値観から、状況を踏まえて相対的に判断して下されますよね。

宇宙自体が「ただそうである」のは事実としても、「だからそもそも正義っていうこ言葉を無くそうよ。ジャッジするのもやめようよ。」と言ってしまうのは、あまりにも短絡的で危険なことだと思います。何故そう繰り返すのかと言うと、今スピ関係のサイトがそういう方向に溢れているようだからです。

 

でも、皆色々「ジャッジしないことを強制された」今の世界、どうなってますか?疑わなかった結果はどうですか?「嫌です」とか、「拒否します」とか、「これは許容すべきではない」とか、わざわざ言わなくとも、心で思って個人で判断するべきだったこと、沢山ありませんか?「否定するとか、ネガティブなポジションは取りたくないから」と、ネガティブなものをはびこらした結果、人間の社会はどうなってしまいましたか?

 

嬉しいですよね、「もう自分をジャッジしなくていいんだよ。他者の正義に悩まされなくていいんだよ。自分を解放してあげたらいいんだよ。」って言ってもらえたら。自己否定や自己嫌悪に悩んでいた人ほど、心が癒されると思うし、それが悪いことでもありません。

それは心理的な一側面としてはそうなんです。まずはありのままの自分を認識して、その存在を認めてあげる。

でもそこから他者も認めて、どうすればお互いによりよく過ごせるようになるか考え、配慮する。このステップもとても重要。これができないと、回りまわって苦しむのも自分。

「正義」という言葉は、多くの場合これができない人に何かしらの制裁を加えようとする場合にも用いられますね。子ども番組によく「正義のヒーロー」がいますが、ざっくり言うと、「他者を大切にできない人に苦しめられている被害者を助ける」役ですね。「いやぁ、何が良いとか悪いとか実際は無いからほっとこうよ。」みたいな社会に、子どもは住みたくないんです。子どもって自然に、道徳観の高い大人を慕いますよ。

自分も大事。他者も大事。どちらかだけだと、バランスが崩れるんです。

 

正義を振りかざし、他者の立場からものを考えようとしないのも勿論バランスを崩します。理不尽な他者の批判も受け入れる必要はありません。

ようは「正義」もジャッジメントも、あるから良い、無いから悪いというものではありません。必要バランスの問題です。大日月地大神の皆さんは、どうやら地球の状態がバランスが崩れすぎていると判断されたようで、最後の審判の影響がこれからどんどん出てくるかと思われます。

 

悪魔は非常に狡猾なので、真実と嘘をごたまぜにします。また物事に「甘く味付けする」のも得意です。または「恐怖を利用する」のも大好き。今の時代特に、「その人の人間性を見抜く力」は、色々な情報を判断する上でとても大切。私は色々疑問を投げかけながらも、太陽グループ(大日月地大神)の皆さんを信じています。理由は「私達のことを思いやってくれているのが感じられるから。(口調結構辛口だけどね…笑)」

 

ちょっと話がずれましたが…ここでやっとタイトルの、「イノセントなカルマ」です。

カルマというのは、別にネガティブなものだけでは無いんですね。良いことも、悪いことも、ニュートラルなことも、ブーメラン方式で帰ってくる、と。まぁ細事は色々謎ですが、ざっくり言うとこんな感じで理解されていると思います。

と、言うことは、「悪気が無くて」した「悪いこと」も、結果は自分に返ってくるわけです。これちょっと悲しいけど、じゃあどうしたらいいかと言うと、それが「悪いこと」だと学んで止めるようにするしか、ネガティブブーメランの止めようないんでしょうね。この「悪気ない悪事/悪言」を、私は「イノセントなネガティブカルマ」と呼んでいるわけです。

 

私の一番身近な例えを言うと、ツインである私の主人が、この「イノセントなネガティブカルマ」盛り沢山だったと思うんですね。いるじゃないですか、「それが事実だから」って、人の気持ちを微塵も考えずに何でも言っちゃう人って…(INTJとか、INTJとかINTJとか…笑)人のメンツとか、コンプレックスとか、その時のムードとか何も考えず、真っ向から意見を否定したり、間違いを指摘したり、気分下がるようなことを言ったり。その結果意図せずに人の恨みを買ったり、嫌われてしまう。

説明すると結構解かるんです。「いやいやいや、相手の気持ちも考えようよ?!喧嘩売ってると思われても仕方ないでしょ?!」って何度話したことか(笑 

でも本人悪気無いことの方が多いんですよ。ただ自分でも相手でも、「気持ち」を認識したり気づくことがすごく苦手。別に相手を傷つけたい訳じゃ無いんです。何度も正して、大分人に「余計なことは言わない」ようになってきました(笑

 

主人のは極端な、というかかなり分かりやすい例ですが、実は私達皆、気づかずに「イノセントなネガティブカルマ」をしょっているってことが多くあると思います。悪魔に嘘を教えられてきたから。教科書通りに宿題解いたら-20点で、結果居残りさせられたらたまったもんじゃないですよね。でも残念ながら、点数はそのままカルマとして、私達の不都合や苦しみとして支払わされてしまう。仮にクラスの全員が同じ教科書を見てても、その教科書を使った連帯責任は取らされてしまう。

だったら、「助言」にせよ、「非難」にせよ、「それ間違ってるよ?」って教えてくれる人、ありがたくないですか?聞く耳持たなかったら、「いい加減にやめなさいよ!」って怒ってくれる人、必要じゃないですか?それでも「ジャッジメントはいらないから」、「それはコントロールだから」って逃げますか?

 

「コントロールのために」とか、「自分の優越感の為に」非難してくる人の言うことは、ご意見だけありがたく頂戴して、後はスルーして自分で判断したらいいと思います。でも「あなたの為に」、もしくは「あなたから自分/誰かを守るために」意見してくる人の言うことは、耳を傾けた方が自分の得だと私は思います。だって、それは結果としてあなたがこれ以上「イノセントなネガティブカルマ」をつくらないヒントをくれているわけですから。これらを見分けるのは、中々難しいものかも知れませんが。

 

見分けのつかないときは、まず非難された「内容」と、相手の「感情・意図」を分けて捉えてみるといいと思います。「内容」は一つの可能性として、相手の言っていることはあっているのか?そうでないのか?考えてみる。相手は悪意で言っていたとしても、正論だったり、学べることがある場合はあります。学べることは素直に学んだが勝ち。

それとは別に、相手の「感情・意図」を見極めることは、今後その人とどう関わっていくか決める上で大切ですね。私は基本的に、どのような理由であれ「あなたが嫌い」な人とは、極力関わらないことをお勧めします。

 

私たちはよくこの、相手の避難や主張の「内容」と、相手の「感情・意図」を混同して反応してしまうからやっかいです。狡猾な悪魔は、例えばあなたに明らかに悪意をある人に、事実を非難として言わせ、結果あなたが事実と向き合うことを拒否するように仕向けるなんてこともします。コントロールを逃れたと思ったら、逆にマニピュレーションされてたパターン。本当に悪魔は人の弱みを使うのが上手です。

 

最後に…特にネット上で「ジャッジしちゃダメ」、「正義とか思っちゃダメ」と言っている人の「生活」を見てみましょう。人間生きているかぎり皆、この世での「お役目」があります。役目が無くなると人は死に向かうとも言えます。役目は様々な形で存在するので一概には言えませんが、何かと自分の今の生活に満足できていない、役目を見つけていない段階の人が「ジャッジしちゃダメ」と言っていたら…それは「私をジャッジして欲しくない」ということかも知れません。

 

ジャッジメントも、正義も、本当は別に恐いものではないんです。私たちは皆愛されながらも、皆間違っているのだから、恐れずにジャッジされて、そしてより良い方向へと変わってゆけばいいのだと思います。そして私たちは、どうやらそのプロセスに永遠という時間を与えられているようです。

 

Pink Pigでした。

神世についての考察

こんにちは、Pink Pigです。

 

突然ですが、来る神世が待ち遠しくて仕方ないです。どれほどかかるか分からないけど。それまでにかなり荒れるだろうけど。

 

やっと神人さんの大日月地神示が手元に届きまして、ほぼ毎日、ちょこちょこ読んでいます。以前までキリストの亡霊に付きまとわれながら(超失礼)「なんでキリストやねん」と疑問でしたが、今の理解ではどうやら、キリスト本人も神人さんの言う大日月地大神霊団と繋がった方だったようですね。つまり彼もいわばシャーマンであったと。だから太陽神のイメージとも重なったのでしょうね。

そしてツインレイも、おそらくこの大日月地大神霊団の目指す地球の建て替えの為に送られてきたのでしょう。私達の子ども達の名は、「新たな世に生まれ変わる」という意味が含まれています。きっと神世の建設に貢献する人間に育つかと思います。

 

大日月地大神霊団さん、名前も過去に色々変わってきたようだし、分りやすく太陽グループと呼ぶことにします(笑 この太陽グループさん、言っていることはとても素敵なんですが、そこは疑い深くてしょうがない私。はいそうですかと全て受け入れているわけではありません。例えばね…

 

ー 因縁(カルマ)をよく説くが、カルマが実際にどのような法則で成り立っているのか詳細な説明が無い。

これは大体のカルマ論に共通することですが、はっきり言って誰も詳細知らないんです。例えば、生物によって命の重みが違う謎。虫を殺したのと人を殺したのでは、明らかにカルマの重さが違っているようだけど… 

例えば、個人のカルマと、肉体のカルマと、祖先のカルマと、集団の持つカルマ等々、異なる方面から成るカルマの謎。何か面倒くさいと、「全部自業自得」的にざっくりまとめられすぎてる感じ。とりあえず文句言うなって感じ。

例えば、カルマと、過去と現在と未来が同時に存在しているという視点の謎。だったら、「未来にどうこうするから、過去にその因果を受けて来た」ってこともありえるのでは… 

例えば、母なる地球かエイリアンか知らないけど、人の祖先が基本的に「生物を殺して食べる」体に造られた謎。そりゃ、ネガティブなカルマだって増えるだろうさ。動物もそう造られてるんだから、地球規模でネガティブな気が増えるだろうさ。平和な地球ができるか実験したかったんなら、何故そもそもそんな風に造ったのか?!

…疑問に思い出すときりが無い、「ぶっちゃけあまりちゃんとした説明が無い」カルマの謎。とは言え、私はカルマはあると思っています。心理学的に見ても、「悪いこと」はしないに越したことが無いしね。ただ実際のところどのような法則に乗っ取っているのか、あまりにも分かっていないことが多いのに、何かと「カルマぢゃ!」と言いたがる人には少し不信感が…

 

ー 太陽に所属する高次の霊集団であるそうだが、霊性が高い存在の割には、共感力というものに乏しい。哀れみはあるようだし、地球人の為を思って厳しく説いているのだろうけど、それにしても人間の「感情」、特に心の痛みに沿おうとする姿勢はほぼ見られない。人間は愛のある教えじゃないと変わらないし、例え愛があっても、愛を感じられる教えじゃないと変われない人の方が多い。超エリート集団のはずなのに、イマイチ人間という生き物の心理的機能をあまり知らないのではと疑ってしまう。

 

ー 神人さんも言っているが、あくまで「霊団」なので、グループ内のメンバーが立ち代わり入れ替わり神示を降ろしている。なので前のメッセージと矛盾するような時もある。…何気にそこまで足並み揃ってない?!地球の未来がかかってるんですが?!!

 

ー 失礼だけど、人間を馬鹿だと思ってるのか、実は霊団そんなに賢くないのか、霊団が実際の言いたいこと全部が降ろせないのか、全て計算済みでわざと賢くない感じで書いてるのか…分からない。本当に分からない。

 

まぁこんな感じで、猜疑心の塊のような私ですが、それでも実は太陽グループ大好きです。大体においては、「はいはい!賛成!」としか言いようがありません。

太陽グループ自身も言っていますが、下には下がいるし、上には上がいます。太陽グループの上にも、きっと何かいるでしょうし、別に上り詰めればいいってものでも無いかなと。ただツインプログラム(というかもはや地球建て替えプログラム)を通じて実感したことは、「真実を求める」ことがいかに大切かということ。

 

私は常に「問うて」きました。そこに明かされない真実がある限り、「完全に納得」したことはありません。

ー 主人とスピリチュアルな体験をし、「これは何?」と問う。もらった答えは「ツインレイ」。

ー でもそこで、「そっかー、運命の人なんだ♡」で終わらない。いや、おかしいだろ、何よツインレイって。実際のところ何がしたいんよ。もらった答えは、「神の子を産む」。

ー でもそこで、「まぁ、私はマリア様?」で終わらない。いや、おかしいだろ。何で私よ。そもそもキリスト教信者でも何でも無いし… キリスト教にチャレンジしたところでもらった答えは、「大日月地神示」。

 

そんな感じで徐々に「コアに近づいていってる」感はあります。

そしてこの「真実を求めるか否か」というのが、常に私達に投げかけられている問であり、「真の人間」として新しい世に生まれれるかというテストでもあるだろうと思います。(ツインレイは「地球卒業する」と言われてるから、もしかしたら別の高次の星行きかも知れないけど。)

今の世は、「嘘を土台に」成り立っている部分が多すぎます。「愛されていると思っておこう」、「信用できると思っておこう」等、この「思っておこう」が崩れると、自分の心が崩れるし、システム自体が崩れるからです。悪魔の周到な罠ですね。嘘の上に成り立ったものは、攻撃されると弱いものです。でも、神世ではそれがひっくり返るのでしょう。ピュアで偽りの無い「真実を土台に」新しく構築しなければいけないのです。

 

神とは一体何でしょう。太陽グループさんは、地球とその自然そのものを神として崇めることを推奨しているようですが、私たちが「生かされている」のは事実にしても、神とは結局、人間が決めるものなのかも知れません。見方によっては、悪魔だって立派な神ですし。でもどうせ崇め、頼り、時には従うのであれば、「私たちを愛してくれる神」に寄り添いたいですよね。

 

最後に、これはもう感覚的なものでしか無いのですが、私には人間にはまだまだ秘密が隠されているような気がしてなりません。私達には、私たちが思っている以上の、また知らされている以上の、霊的な重要性があるように思えるのです。キアヌ・リーブスなら知ってるのかしら(笑 今後ももっと、真実が表れてくるといいな…

 

P.S. 数日前、寝る前に太陽グループに向けて「あなたは誰?顔を見せてください。正体を明かしてください。」と心で唱え続けながら寝ると… 翌日主人が突然、ドイツのオペラ、「ローエングリン」の話をしだしました。神は言いました、「私の名前や素性を決して聞いてはいけない。」

……聞いちゃだめなの?!怪しすぎるだろ…笑 

 

Pink Pigでした。