ツインレイ女性の愚痴 ースターシードよりー

こんにちは、Pink Pigです。

 

最近気づいたのですが、どうやら私、スターシードのようです。

 

…「いや、ツインレイ語ってる時点で、スターシード認知前提でしょ?」とつっこまないでください。

スターシードについては当然読んだことはありますが、あえてスルーしていたんです。うん、私も旦那も特徴当てはまりまくるけど、「まぁそれは置いといて」扱いだったんです。認知するのが嫌だったと言っても過言ではありません。その理由は、

 

ー いかにも胡散臭いから(笑 あるタイプの人の劣等感を満足させるような記述満載で、「何かになりたい」ナルシズムの果てと思われても仕方ない。

実際のところ、主人は自称「なんたら星から来たウォークイン」とのたまわっていた「自己愛性パーソナリティ障害」の雇い主の元で働いていたこともあります。私は「自称天使」の発達障害を持った子が、結構エゴイストだったことも知っています。今思えば、魔にわざとそういう人たちを見せつけられていたのかもだけれど。

 

ー 自分がスターシードと分かったところで、私自身にあまりメリットを感じなかったから。ツインレイについては、自分では意味の分からない事象の説明や、プログラムの流れ等、知識として知ったことで役に立ったことが沢山ありました。でも自分をスターシードと知ったところで、「じゃあどうすればいいの」ということがあまり無かった。主人は社会に適合するのに結構苦労していますが、私自身はそこまで不便を感じていなかったし。恐らく私は何度も地球に転生していたのだろうと思います。主人は超宇宙人のままだけど(笑

 

なので、今更スターシードだと観念したところで何が変わるのかというと、特に何も変わりません。ただそう思ってみると、納得のいくことは多々ありました。その中から、おそらく私が「宇宙系」であるからこそ感じる、いわば地球人への違和感、その中でも「マイクロとマクロへのアプローチ」について書いてみたいと思います。今の時代に繋がるテーマでもあるのではと思います。

 

まずざっと書くと、私は今まで出会った人たちから下記のことに違和感を感じていました。

 

1. 際限なく分けようとし、またそこから己の優越性を唱えようとする。

2. かと思えば、イロジカルに一緒にしようとする罠にはまってしまっている。

3. 物や事象に対する「限界/リミテーション」について、イロジカルな考え方をする。

 

一つ一つ説明すると…

1.際限なく分けようとし、またそこから己の優越性を唱えようとする。

何かと何かに「分ける」ことは、人の機能の一つで、必要なことです。でも多くの場合、自分と他者を分けた後、「だから自分の方が上」って思いたがることありませんか?もしくは、「自分の方が下」と勝手に思って、相手を羨んだり。

 

たとえば私は少し特殊な生立ちがある故、「主に標準語を喋る関西人」なんですね。イメージとしては、標準語にごくたまに関西弁アクセントが混じる感じです。それが私の生立ち上自然に感じる為、特に「完璧な関西弁/標準語を話そう」という努力はしていません。また私は「どの方言が上/下」という感覚も無いため、会う人の方言によって、自分に関係無くてもランダムなものを真似して取り入れることもあります。(でも好みとしてあまり「チャラい」感じが強すぎる話し方は好きじゃありません。言霊ってものもあるしね。)

でも日本では、関西の人からは「なんで関西弁じゃないの」と訝しがられ、「その関西弁間違ってる」とダメ出しされるし…(笑)関東の人からは、「あれ、関西出身?(ププッ、隠しきれてないけど?)」とまるで私が関西出身であることを恥じているかのように誤解されるし… もしくは私が流暢な(?)標準語を話すからか、「関東びいき」と思われたようで、東京の方に露骨に「(あなたは違うけど)なんで関西の人って云々なの?」と聞かれたりしたこともありました。

 

正直言ってね… 私からしたらそんなディテールどうでもいいのよ!!!笑

自分の地域や、そこで話される言葉に誇りを持つことが悪いと言っているのではありません。そこから勝手に頭の中で「自分グループ」や「敵対グループ」を作って、多かれ少なかれ攻撃したり、見下したりする態度が理解できないのです。

私は訳あって、「とりあえず言葉が通じることがありがたい」という異文化の中で人生の大半を過ごしてきました。国が違えば価値観も、日本内の地方間どころでなく異なるので、毎回多様な生き方や考え方に驚きながら、なるべく角の立たないよう相手の価値観を学んでいく連続でした。

勿論、私個人の信じるところとして、「あの国のここは素晴らしい」とか、「あの国のこの国民性は不道徳だと思う」等、色々あります。自分の心を自分に偽ること無く、いかに自分と異なる他者と共生するか。深刻な問題です。

そんな私からすると、「関西人/関東人ってさぁ」みたいな視野、あまり興味ないんですね… そりゃ実際に色々違いはあるのだろうと思いますよ。でも関西の人と関東の人が、相手を敵視したり、見下したりすることなく普通に交流するのって、そんなに大変ですかね?

(関西出身であることを見下されても、羨ましがられることは無いのに対し、私が海外経験が多いと分かった途端やっかんだりする人は、日本人に結構います。私からすれば優越無く「ただそうだから」ですが、相手からすればお高くとまっているように感じるようです。ヨーロッパ人は自身があちこち旅行する人が多いので、相手からしてもどうってことないです。)

 

英語でも色々ありますよ。オーストラリア訛りの人は馬鹿にされることもあるし、ブリティッシュ・イングリッシュだと勝手にいわゆる上流階級だと思う人もいるし。正直馬鹿馬鹿しいです… マイ・フェア・レディじゃありませんが、発音よりも、話している人の魂を見極める方がよっぽど大事だと思います。

 

とは言っても、先ほども言ったように、「分ける」のは人間にとって必要な機能なんです。宇宙だって「分けた」時に色々始まったそうで。つまり、私たちは分けることによって、「あれでは無いこれ」とか、「あなたでは無い私」をより鮮明に認識したいんですね。だから人はどんどん分けるんだと思います。

アメリカ人じゃない、日本人です。関東人じゃない、関西人です。京都人じゃない、神戸人です。海側じゃなくて山側です… もし村なら、「あの家系出身」もあるだろうし、出身校、所属してたクラブ、勤め先の会社名、支持する政党… 個々人からしたら重要な情報かも知れませんが、私にはその重要度が解らない。感情的に、それぞれを馬鹿にしている訳で無く、どうでもいい… 人が私の出身地や出身校を気にする気持ちも分からない。

 

「分ける」こと自体が悪いのではありません。が、分けたカテゴリーによって不必要な優越感や劣等感を持ったり、不条理な仲間意識や敵対意識に囚われるのは良くないと思うのです。

 

その一方で…

2. かと思えば、イロジカルに一緒にしようとする罠にはまってしまっている。

 

世界は今、闇の勢力によって何でもかんでも歪めた形で「一緒くたにしようとしている」様子が伺えます。猫と鼠は一緒に住まわせない方がいいよねとか、馬は馬であって、牛にはなれないよねっていうレベルの、誰でも少し考えれば分かることをあえて無視し、人間社会に混乱と衰退を招こうとしています。男女の違いも無視、大人と子どもの違いも無視、国民性や人種的違いも無視等々… 無視どころか、それぞれについて間違った情報を植え付けることも。

 

人々の生活はこの闇の混乱作戦にかなり侵されていますが、大日月地大神霊団がとった作戦は、魂レベルで住みわけをさせることでした。「平和を保てないものは保てない」が、宇宙レベルでされた検証の結果だったんですね。それが残念な結果かどうかは個人の意見で分かれるでしょうが、大きな「神の目から見れば、すべては平等に尊い」のです。そして皆平等にカルマの法則の中でもまれていき、恐らく遅かれ早かれ、同じ方向に魂の進化を遂げるのでしょう。

 

同じところにあるべきでないもの同士はいます。

関西人と関東人に優越をつける必要は無いけれど、じゃあ関西も関東も無くして、混ぜこぜ半々で住まわせようかとか、大きな迷惑ですよね?それぞれの特性や、大事にしてきた文化を尊重してほしいと思うでしょう。とは言え、関西人と関東人を一緒にしても殺し合いはしないと思いますが(笑)、猫と鼠を一緒にしたらどうなるかは明らかですよね。

同じ扱いを受けるべきでないもの同士もいます。

私はあまりそのへん詳しくないですが、例えば大阪で知らない人に「おばちゃん」と声かけても、普通に対応してくれるかも知れませんが、東京だと失礼に思われるかも知れません。大阪のおばちゃんも、東京の中年女性も、人間の女性ですから、怒ったからって殴りかかってきたりはしないと思いますが(笑)、馬から搾乳しようとして蹴られたら、もう馬に文句言ってもしょうがないレベルですよね。

 

湾曲して書いていますが、解かる人には何のことか分かると思います。関西人と関東人の違いレベルで収まらないカテゴリーを、私たちは政府や政策、メディアによってどんどん歪められ、混乱から疲労してきています。

女に男になれと言えば、女性はやつれるだろうし、男に女になれと言えば、男性は衰退の道を辿るしかないのです。子どもに大人であることを強いれば、その子は本当の意味で成長できないし、大人を子どものように扱えば、やはり衰退の道を辿るでしょう。

違いを認める。違いに配慮する。お互いに敬意を持って接する。それが本当のハーモニーではないでしょうか。

 

長くなってきたので、3. 物や事象に対する「限界/リミテーション」について、イロジカルな考え方をする。については、次の記事にしようと思います。

 

Pink Pigでした。