イノセントなネガティブカルマとジャッジメント(あと、人を見ようねという話)

こんにちは、Pink Pigです。

 

ジャッジメントとその必要性には、何度か書かせていただいたと思います。正義と言う言葉を使った場合は、正義とは一つの見方として、「バランスをとる」ということであるとも。

 

まずややこしいのがね…

大前提として、なにが「正しい」のか、「間違っている」のかが主観的または社会的判断だとすると、この宇宙に「絶対的正義」は存在しないとは言えますね。ジャッジメントも主観的価値観から、状況を踏まえて相対的に判断して下されますよね。

宇宙自体が「ただそうである」のは事実としても、「だからそもそも正義っていうこ言葉を無くそうよ。ジャッジするのもやめようよ。」と言ってしまうのは、あまりにも短絡的で危険なことだと思います。何故そう繰り返すのかと言うと、今スピ関係のサイトがそういう方向に溢れているようだからです。

 

でも、皆色々「ジャッジしないことを強制された」今の世界、どうなってますか?疑わなかった結果はどうですか?「嫌です」とか、「拒否します」とか、「これは許容すべきではない」とか、わざわざ言わなくとも、心で思って個人で判断するべきだったこと、沢山ありませんか?「否定するとか、ネガティブなポジションは取りたくないから」と、ネガティブなものをはびこらした結果、人間の社会はどうなってしまいましたか?

 

嬉しいですよね、「もう自分をジャッジしなくていいんだよ。他者の正義に悩まされなくていいんだよ。自分を解放してあげたらいいんだよ。」って言ってもらえたら。自己否定や自己嫌悪に悩んでいた人ほど、心が癒されると思うし、それが悪いことでもありません。

それは心理的な一側面としてはそうなんです。まずはありのままの自分を認識して、その存在を認めてあげる。

でもそこから他者も認めて、どうすればお互いによりよく過ごせるようになるか考え、配慮する。このステップもとても重要。これができないと、回りまわって苦しむのも自分。

「正義」という言葉は、多くの場合これができない人に何かしらの制裁を加えようとする場合にも用いられますね。子ども番組によく「正義のヒーロー」がいますが、ざっくり言うと、「他者を大切にできない人に苦しめられている被害者を助ける」役ですね。「いやぁ、何が良いとか悪いとか実際は無いからほっとこうよ。」みたいな社会に、子どもは住みたくないんです。子どもって自然に、道徳観の高い大人を慕いますよ。

自分も大事。他者も大事。どちらかだけだと、バランスが崩れるんです。

 

正義を振りかざし、他者の立場からものを考えようとしないのも勿論バランスを崩します。理不尽な他者の批判も受け入れる必要はありません。

ようは「正義」もジャッジメントも、あるから良い、無いから悪いというものではありません。必要バランスの問題です。大日月地大神の皆さんは、どうやら地球の状態がバランスが崩れすぎていると判断されたようで、最後の審判の影響がこれからどんどん出てくるかと思われます。

 

悪魔は非常に狡猾なので、真実と嘘をごたまぜにします。また物事に「甘く味付けする」のも得意です。または「恐怖を利用する」のも大好き。今の時代特に、「その人の人間性を見抜く力」は、色々な情報を判断する上でとても大切。私は色々疑問を投げかけながらも、太陽グループ(大日月地大神)の皆さんを信じています。理由は「私達のことを思いやってくれているのが感じられるから。(口調結構辛口だけどね…笑)」

 

ちょっと話がずれましたが…ここでやっとタイトルの、「イノセントなカルマ」です。

カルマというのは、別にネガティブなものだけでは無いんですね。良いことも、悪いことも、ニュートラルなことも、ブーメラン方式で帰ってくる、と。まぁ細事は色々謎ですが、ざっくり言うとこんな感じで理解されていると思います。

と、言うことは、「悪気が無くて」した「悪いこと」も、結果は自分に返ってくるわけです。これちょっと悲しいけど、じゃあどうしたらいいかと言うと、それが「悪いこと」だと学んで止めるようにするしか、ネガティブブーメランの止めようないんでしょうね。この「悪気ない悪事/悪言」を、私は「イノセントなネガティブカルマ」と呼んでいるわけです。

 

私の一番身近な例えを言うと、ツインである私の主人が、この「イノセントなネガティブカルマ」盛り沢山だったと思うんですね。いるじゃないですか、「それが事実だから」って、人の気持ちを微塵も考えずに何でも言っちゃう人って…(INTJとか、INTJとかINTJとか…笑)人のメンツとか、コンプレックスとか、その時のムードとか何も考えず、真っ向から意見を否定したり、間違いを指摘したり、気分下がるようなことを言ったり。その結果意図せずに人の恨みを買ったり、嫌われてしまう。

説明すると結構解かるんです。「いやいやいや、相手の気持ちも考えようよ?!喧嘩売ってると思われても仕方ないでしょ?!」って何度話したことか(笑 

でも本人悪気無いことの方が多いんですよ。ただ自分でも相手でも、「気持ち」を認識したり気づくことがすごく苦手。別に相手を傷つけたい訳じゃ無いんです。何度も正して、大分人に「余計なことは言わない」ようになってきました(笑

 

主人のは極端な、というかかなり分かりやすい例ですが、実は私達皆、気づかずに「イノセントなネガティブカルマ」をしょっているってことが多くあると思います。悪魔に嘘を教えられてきたから。教科書通りに宿題解いたら-20点で、結果居残りさせられたらたまったもんじゃないですよね。でも残念ながら、点数はそのままカルマとして、私達の不都合や苦しみとして支払わされてしまう。仮にクラスの全員が同じ教科書を見てても、その教科書を使った連帯責任は取らされてしまう。

だったら、「助言」にせよ、「非難」にせよ、「それ間違ってるよ?」って教えてくれる人、ありがたくないですか?聞く耳持たなかったら、「いい加減にやめなさいよ!」って怒ってくれる人、必要じゃないですか?それでも「ジャッジメントはいらないから」、「それはコントロールだから」って逃げますか?

 

「コントロールのために」とか、「自分の優越感の為に」非難してくる人の言うことは、ご意見だけありがたく頂戴して、後はスルーして自分で判断したらいいと思います。でも「あなたの為に」、もしくは「あなたから自分/誰かを守るために」意見してくる人の言うことは、耳を傾けた方が自分の得だと私は思います。だって、それは結果としてあなたがこれ以上「イノセントなネガティブカルマ」をつくらないヒントをくれているわけですから。これらを見分けるのは、中々難しいものかも知れませんが。

 

見分けのつかないときは、まず非難された「内容」と、相手の「感情・意図」を分けて捉えてみるといいと思います。「内容」は一つの可能性として、相手の言っていることはあっているのか?そうでないのか?考えてみる。相手は悪意で言っていたとしても、正論だったり、学べることがある場合はあります。学べることは素直に学んだが勝ち。

それとは別に、相手の「感情・意図」を見極めることは、今後その人とどう関わっていくか決める上で大切ですね。私は基本的に、どのような理由であれ「あなたが嫌い」な人とは、極力関わらないことをお勧めします。

 

私たちはよくこの、相手の避難や主張の「内容」と、相手の「感情・意図」を混同して反応してしまうからやっかいです。狡猾な悪魔は、例えばあなたに明らかに悪意をある人に、事実を非難として言わせ、結果あなたが事実と向き合うことを拒否するように仕向けるなんてこともします。コントロールを逃れたと思ったら、逆にマニピュレーションされてたパターン。本当に悪魔は人の弱みを使うのが上手です。

 

最後に…特にネット上で「ジャッジしちゃダメ」、「正義とか思っちゃダメ」と言っている人の「生活」を見てみましょう。人間生きているかぎり皆、この世での「お役目」があります。役目が無くなると人は死に向かうとも言えます。役目は様々な形で存在するので一概には言えませんが、何かと自分の今の生活に満足できていない、役目を見つけていない段階の人が「ジャッジしちゃダメ」と言っていたら…それは「私をジャッジして欲しくない」ということかも知れません。

 

ジャッジメントも、正義も、本当は別に恐いものではないんです。私たちは皆愛されながらも、皆間違っているのだから、恐れずにジャッジされて、そしてより良い方向へと変わってゆけばいいのだと思います。そして私たちは、どうやらそのプロセスに永遠という時間を与えられているようです。

 

Pink Pigでした。