ツインレイ女性の愚痴 ースターシードより2ー

こんにちは、Pink Pigです。

 

前回の続き、

3.物や事象に対する「限界/リミテーション」について、イロジカルな考え方をする。

について説明したいと思います。

 

ここに飴が二個あるとします。二個とも自分で食べますか?一つ他の人にあげますか?二つともあげますか?

どんな時に自分で食べますか?どういった場合では人にあげますか?

「飴」は何にでも例えられますし、どの答えが間違っているというものでもありません。

 

誰かにあげると、「飴」は無くなりますか?

またどこかで得られるのではないですか?

でも「その飴」はそれっきりですか?

では何故「その飴」が欲しいのですか?自分をいい気分にしてくれるから?

では「自分をいい気分にしてくれるもの」は「その飴」に限られますか?

また別の「自分をいい気分にしてくれるもの」が見つかるのではないですか?

そういった意味では、あなたには一個以上の「飴」が、もう沢山与えられているし、これからも与えられるのではないですか?

 

私達が生活する中で、沢山のものが、リミットがあるようで無いものだと思います。

お金を使えば無くなります。でもまたお金を得ることもできます。スピ系の人なら、お金も循環するエネルギーだと聞いても違和感は無いかと思います。

愛は無くなるでしょうか。注意を向けられていないと、愛が無くなったように感じるかも知れません。でもそれは一時的なことで、また別の時に愛が伝わってくるかも知れないし、もしくは別の人に愛されるかもしれません。

あなたの価値は無くなるでしょうか。人としての価値はいかようにでもつくることができるし、神からすれば存在しているだけで尊いものです。

命は無くなるでしょうか。その人として生きてきた体は無くなっても、魂はまた別の生を生きます。

 

沢山のものや事象が、リミットは「あってない」ようなものだと思うのです。

もちろん、色々なものに現実としてのリミットはあります。オイルだってそのうちつきるだろうし。(一方でクリーンエネルギーのような、エネルギーは尽きないという説もありますが。)動物だって狩りすぎたら絶滅するだろうし。物や事象を「どう循環させるか」という配慮は大事。

でも人間として生きると、「自分」が受け取る、もしくは与えるものに関して、「我」が強ければ強いほど、「リミットの幻想」に振り回されて生きているように思えます。

 

お金や富を必要以上に持っていても、もっと欲しい。他者と分かち合えない。

誰かの愛や注目が他の人に行くのが怖くて、嫉妬したりコントロールしようとする。

他者が優れていると自分の価値が無くなるような気がして、足を引っ張ったり、自己嫌悪に陥る。

自分の為なら、他の誰を犠牲にしても厭わない。

 

これらは私もよく躓くことでもあります。でも、人間として躓きながらも、そのリミットに対する不安がいかに幻想であるかについても、時に思い出して、大きな目でものごとを見れたらいいと思います。ちょっとぶっきらぼうな言い方をすれば、日々人の心を悩ませている沢山のことが、実はそんな大した問題では無いのです。では、リミットについて悩む人と悩まない人の違いはなんでしょうか。

 

例えば、物でも愛情でも、「もらってなかった子」は、欲が深くなる傾向があります。飴は全部私の物。人にあげるなんて、身が引き裂かれる思い。お金も、愛も、価値も、もっともっと欲しい。十分なんて無い。取られることが一番怖い…

結果その子はそれらの物を得る為に奔走し、それでも満たされない人生を送るかも知れません。過去に飢えた記憶があるので、「無くなるかも知れない」という恐れに縛られ続けるのです。

 

一方「十分にもらった子」は、リミットに対する恐れが薄いです。飴があれば食べるけど、私よりも飴が欲しい子がいればあげる。だって私は、また飴をもらえるから。

私に飴をくれた人は、くれるのが楽しそうだった。だから私も、あげるのが楽しい。私に飴をくれた人は、私が喜ぶのを見て嬉しそうだった。だから私も、人が喜ぶのを見るのが嬉しい。お金も、愛も、価値も、私は十分に持ってる。もし無くなれば、また神様/運命が得させてくれる。大丈夫、何も無くならない。分けさせてくれて、ありがとう。

 

人にとっての幸せは、形は色々あれど他者との繋がりにありますし、エネルギーの自然な姿は、循環していることなんですね。どちらがいい悪いと言うより、「あげたい子」は、単純に「あげたくない子」より幸せになれるんです。

 

世界は繋がっていますから、幸せな人が多ければ多いほど、幸せだった人ももっともっと幸せになれます。それもリミットレスです。自分が幸せである為に、他の人を不幸にする必要は無いんです。自分が不幸な時に、幸せな他者を見るのは辛いかも知れません。でも周囲が、世界が、幸せな人であふれてきたら、結果的にあなたももっと幸せになれるのです。

 

資源にしても、富にしても、個人の幸せにしても、そこに「決まった量があり、それがなくなる前に取り合わなければいけない」という概念だと、長い目で見ると結果的に皆で不幸になります。でも「循環させ続ける限りリミットは無く、皆必要なだけ与え合うことができる」という概念だと、皆で幸せになれます。

 

少しとりとめの無い記事になりましたが、少しでも言いたいことが伝われば良いなと思います。

 

Pink Pigでした。